2006/10/16  

第4話 「能楽おもしろ講座」は面白い? パート1

「最初はねむくなりそうだなぁと思っていました」、「こんなん見てもつまらんやろうなと思っていました」、「僕は能はつまらないもの、おもしろくないものと思っていました」、「「能を見に行く」と言われて絶対寝てやろうと思っていました」これは小学生、中学生の感想文のほとんどに見られる言葉です。

 子供は言うに及ばず大人の私たちも能というものをイメージしたら、同じような言葉が返ってくるのではないでしょうか。

 能楽といいますが、能という漢字の本来の意味は素晴らしいもの、よきものという意味です。よきものを楽しむ。それが能です。苦しみながら能を見ている方もいらっしゃると思いますが、為になったことって、案外忘れてしまうものですよね。でも、ワクワクしたこと、楽しかったことって結構覚えていますよね。私が作ったこの講座のコンセプトは、いかに能を楽しむかということです。

 私と一緒に「能楽おもしろ講座」体験してみましょう。なんてったって「おもしろ講座」なんですから。

 

 私どもの河村能舞台は京都のメインストリートの烏丸通りに面し、御所や同志社大学の少し北にあります。外観といえば全く普通の家。お隣に老舗の和菓子屋さんがあるのですが、そちらの店構えの方がよっぽどそれらしいです。たまに間違えてお隣に入っていかれる方もあります。靴を脱ぎお玄関から少し狭いドアをあけると、あーら不思議、こんなところに能舞台がとたいていの人がびっくりされます。ミスマッチの感覚と言ったらいいのでしょうか。日常から非日常へという感覚がドア一枚で経験できます。

 最初舞台の外にいる子供たちは「誰がすんでるのー?」とか表札を見て「河村っていう人の家やー」等と言いながら入ってきます。そして、、、、。私はそんな子供のびっくりした表情を見るのが大好きです。

 

 見所は畳敷きですので、お座布団に座っていただくことになります。

 私は切戸口から登場して正座をし、まず大きな声で手をついて「こんにちは」の挨拶をします。そして「ここに入ってきてびっくりした人手を挙げて」という問いからスタートします。8割位の子供たちの手が上がります。その後、能舞台の説明、能って何という話をしていくのですが、私が心がけていることがあります。

 知識を話すのではなく、誰かに話したくなる話題、知っているようで知らなかった話などを話すのです。帰宅してご両親や友達に「ねぇこんな話知ってる?」と話した場合、「へぇー」とか「ほぉー」とかいう反応があったら嬉しいですよね。お得感のある内容を心がけています。つまり頭を素通りさせないということです。頭ではなく心に落とし込むかな。

 

 その後、能面の話をするのですが、単に展示品的な見せ方ではなく、見る人の感性に響くような見せ方をと思っています。ちょっとした角度で変化する表情に「こわぁー」とか声にならないため息等が聞こえてくると、とてもうれしいです。

 小面、深井、中将、般若等々、お見せする面はその時々で変わります。

 私どもの世界では能面を非常に大事にしていて、私も面袋から面を出すとき必ず面に一礼します。これは無意識にしているのですが、「面を出すのを見ていて面がすごく大切にされているのを感じた」「こんな風に扱ってもらって面は幸せだなと思った」という感想を読んだとき、子供たちが言葉に表さずともわかってくれているのを実感しました。

 

 次に「高砂」の謡の稽古をします。日本の芸能や武道は礼に始まって礼に終わるので、正座をして手をついて一緒に「お願いいたします」「ありがとうございました」の挨拶を必ずします。今の子供たちは正座をすることが生活の中にないので5分程度でも足が痛いという子がいますが、正座の意味を話し「背筋を伸ばして!あごを引いて!」とこのときはちょっとこわもてになります。ここで体験してほしいことは、声を出すことで言葉が立ってくる感覚や快感を感じてもらうことです。和歌や俳句もそうですが、謡の七五調のリズムは日本人の私たちには心地よいリズムです。

 稽古をした後はフィードバックをするようにしています。昨年、この講座を見学をしたある学校から報告がありました。何と学園祭で、「クラス全員で高砂の謡をしました」というのです。将来誰かの結婚式で謡ってくれるといいな、なんて思っています。

 

 謡はいわば歌と同じです。歌があればミュージックです。能の世界では囃子といいます。 

 ここでは能の囃子のそれぞれの楽器についての説明や音色を聞いていただきます。

 数年前ですが、ある学校でいわゆるワルの子供たちがいたのですが、笛のぴーっという甲高い音がしたとたん態度がころっと変わりました。人は体験したことのないもの、初めて触れる世界には素直になるのですね。子供に小鼓を打ってもらうのですが、なかなか音が出ず苦労してますが、返って見ている人には受けたりして、たいてい大きな拍手で終わります。

 

 さぁ、歌と音楽の次は動きです。足袋をはいて舞台の上で歩いてみましょう。デューク更家がウォーキングをしていますが、多分あれよりかなり難しいはずです。

 一見単純で簡単そうに見える能のすり足ですが、やってみるとなかなか自分の身体か゛思うようにならないのを実感するはずです。足の裏、意識したことありますか?最近は顔がゆがんだり、まっすぐ歩けない子供たちがいます。

 また、いわゆる腰を入れるということがなかなかできません。「きれる、むかつく」という言葉に象徴されるように人の重心が丹田ではなく、少し上になってきているのではないでしょうか。

 

 最後に、いよいよ能を見ます。能の言葉はなんと言っても六百年前の古文です。そこに謡独特の抑揚があり、掛詞や修辞語、お囃子の音などがかぶさってくると言葉だけ聞いていると分らなくなってきます。簡単なさっくりしたあらすじをお話するのですが、このときこの能の主人公は何が言いたくてみんなの前にやってくるのかという問いかけをします。能の最大の魅力は見えない世界を見るということです。

 人の持つ苦しみ、悩み、そして喜び。六百年前の人の想いを少しでも感じ取ってほしいなと思っています。能が終わった後の拍手を聞いていると、見た人の想いが今度はこちらに伝わってきます。シテが退場した後、囃し方全員がゆっくりした動作で橋掛かりを歩いていき、幕へ入るまで拍手がやむ事無く続くのを聞くとき私の胸は少し熱くなります。

 

  能が終わると、質問にお答えして終わるのですが、次回はこの「能楽おもしろ講座」を子供たちや先生方がどんな風に感じているのか、ということをお話してみます。

 

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