2007/07/23  

11話 能とアニメ

アニメ、マンガというとちょっと前までマイナーな感じものでしたが今や日本の誇る文化になっています。イラクで自衛隊の車両が攻撃されなかったのは車体に描かれた「キャプテン翼」のお陰ってご存知でしたか?

しかし同じ文化と言っても古典芸能の最右翼の能とアニメがどう繋がるの? と思う方も多いと思います。四コママンガは四コマで起承転結、ひとつのショートストーリーがあるわけですが、能もシンプルさという意味では負けていません。

能の台本は謡本ですが、これを小説のように書くと膨大な量になります。それを言葉や簡素化された動きで何百ページかになる台本を十数ページに凝縮させています。

マンガの背景もそうですが、能も背景は空白、描いていない部分は書き手と読み手、演者と観客の共同作業です。

イマジネーションの圧縮装置が能と言ってもいいかも知れません。

最近、アニメの「エバンゲリオン」や「ガラスの仮面」が新作能になっているのもそういう理由かもしれませんね。

 

ところで精華大学ってご存知ですか? 最近は芸術系の大学でアニメーション学科を設けているところはかなりの数になりますが、日本で初めてマンガ学科を作った大学です。漫画家の竹下恵子を教授に迎えたことでも話題になりました。そして今年からマンガ学部となったのですが、昨年大学で「能楽おもしろ講座」をさせて頂いた折、ご覧になったアニメーション学科の先生から、「能とアニメと」いうテーマで精華大学のアニメーション学科の学生に授業をしてくださいというお話があったのです。

能とアニメやマンガについて、全く考えたことも無かった私にとってある意味チャレンジでした。未経験の大学での授業。授業をうけることはあっても教壇に立つことはなかなかないですから、面白そうだしと軽く引き受けてしまいました。

しかし受けた以上、 担当の先生は私になにを求められているのか。そしてアニメを学んでいる学生たちにそれをどうフィードバックするのか。何度か先生と話をさせていただきました。担当の馬郡先生は「あらいぐまラスカル」「母をたずねて三千里」の背景を担当され、同じ学科の杉井ギサブロー先生の監督作品の文学ブレーンをされている方です。

先生と話をするうち、マンガというのは動きをある意味記号化して伝えているということを知り、それなら能と一緒ですと少し光が見えてきました。

 

私の授業までに学生は8チームに分かれ3回の授業で、能について調べ、ディスカッションしています。

当日グループごと7つの質問を私にさせていただきますとのことでした。

数日前に送られてきたチーム毎にまとめられた学生のレポートを見て、息子は「なーんにも教えることないやん。ものすご勉強してはる」と一言。

チーム名も「神渡し」「虎落笛」「風信子」などユニークな名前がついていました。

能の歴史や他の古典芸能との比較、眼を惑わす演出の少ない能はアニメーションの動きの参考になる教材であるという意見や映画のゴジラと能面の比較など興味深いものありました。

 

全体を通して能面に興味を持っているチームが非常に多かったので、当日は能面を持って行き能面の動き、表情の変化を見てもらいました。後日私共の能舞台で実際に能を見てもらうので、そのビデオも見てもらいました。

能って何?というところから話を始め、能面や能の扇子である中啓、これは普通の扇子とは形状も違う能専用の扇子ですが、そのデザインだけでなく実際に使用する能の曲の内容との関連、つまり能のイメージがどうデザインされているかも見てもらいました。小さな動きやデザイン化された記号や暗号がもたらす多大な効果といったようなものでしょうか。

能のビデオも只鑑賞するのではなく、意味のある動きはどういうことを表現しているのか、舞台装置のない能のシーンの切り替えはどういうポイントで行われているのか、身に付けている装束などの意味するものに気をつけて話をすすめました。

 

 授業の始まる前に先生から学生たちのチームごとの質問表を渡されました。50余りの質問をどきどきしながら読んだのですが、事前学習の効果が見える具体的な質問が多く、「常足袋と舞足袋との違いは? 」など、こんなこと知ってたのという意外な質問もありました。しかし資料で調べることには限界がありますし、能は演劇ですから、実際に見ないと分らないだろうな、ということを感じましたがあえてそのことには触れませんでした。

 ネットで何でも調べられる今という時代に生きる若い人は、とかく「何でもわかった」と思いがちです。しかし、それは大きな誤解であるということを理解していただきたかったからです。情報とは違う五感で感じるものを見つけて知識や授業やビデオで見た能と生の能の違いを自分で感じてアニメを描くことにつなげてほしかったからです。情報収集にしても本や資料より、実際に誰かに会って話を聞くことの方が、得られるものが大きいといいますよね。

また後日ワークショップに参加した学生がどう感じるかも楽しみでした。

  能の持っている空気感のようなものを誰かに指摘されてではなく、自分で発見して貰いたかったのです。将来すごいアニメを描くことに繋がります。小さな発見でもいいから何か見つけてほしいと願っていました。

 

 私のファースト授業でしたが、90分間私自身がとても楽しかったですし、どちらかというと、おとなしい学生が多いような感じでしたが、多分楽しんで聞いてもらえたのではないかと思います。

 私が目指したのは、知識を教えるというより、ともに楽しむエンターテイメント系授業でした。

 
 学校側の企画した能に関する5回の授業の全体構成は まず自分たちで調べて、ディスカッションしながら疑問に感じることなど質問を創っていくということからスタートします。最初は、「蜂がぶんぶんうなるバズ」というイメージを基にした小チームでのデッスカッション、次は全体の学生から5名から10名を指名しにぎやかなディスカッションを他の学生が見ているという「金魚鉢の中と外」という想定で「フィッシュボウル」という授業を行います。それが済んだ後に私の授業がある訳なので、質問まで準備しているという寸法です。最後5回目の授業で実際に能舞台に行き、体験参加する私の能のワークショップを受け能を観賞するという構成になっていました。

 

 年間を通して授業をするということは大変なことだろうと感じました。熱意があればあるほど準備や構成、内容を考えることの大変さが想像されました。いつどこでどんな芽が出るか誰にもわからないけど、学生たちに種まきをしている先生の姿には感動を覚えます。 先生の生徒やアニメに対する強い思いを感じさせていただき、その一端を担うことが出来るのはとても感慨深いものがあります。

そういう状況の中で教室のボードの前に立ったとき、私は一生に一回かもしれないこの時間を楽しもうと思っていました。

 

文化っていうと美術や古典などを連想しますが、文化って感じる心だと思います。すごいものに感じるのも大切ですが、ちょっとした些細なことやものに感じること、そういうことの積み重ねが文化を創っていくんじゃないかと思います。

 イラクの子供たちのように「キャプテン翼」を読んだ子供たちが、日本に興味を持つだけでなく、日本人の心もいつしか理解できるようになるかもしれない可能性。すごいですよね。

 大人だけでなく子供にもわかるアニメの力。侮るべからずです。

 空白を読み取る力、想像力は他者への思いやり、やさしさをも生むというおまけまでついています。

 アニメを学ぶ学生に能という古典芸能の中から日本のよさ、自分自身、気がついていなくても自分の中にあるJAPANを発見体験してほしい。政治家でも歴史に学ぶというではありませんか。最先端の文化と言われ日本の新しい輸出産業とまで言われているアニメですが、この国の文化を見直すことで アニメという新しい日本の文化を担っていってほしい。日本ならではのアニメを創造してほしい。 そう思った私のファースト授業でした。

 

 次回はアニメーション学科の学生たちの感想文を紹介しますね。

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