2011.11.28  

第3話 喜怒哀楽の分量。「怒る」について

 

今回は喜怒哀楽の「泣く」に続いて、「怒る」についてお話ししたいと思います。

怒りという感情は否定的に取られることも多々ありますが、当然のことながら本来それはあるべき感情であり、表現の一つでもあります。ただし、「怒」に関して言えば、一つ間違えれば感情公害とも言えるほどの影響を周囲に撒き散らすということにもなり兼ねませんし、ヒトはそういった経験を少なからず重ねる中で、「怒」を押さえ込んだり、否定してしまうこともあるのです。

しかし、ただ「怒」を抑える、控えるという対処では「泣く」と同様に、出すべきものが適切に排出されず、心の循環が滞るように感じます。これは健康な状態とは言い難いものですが、案外そのように怒りをくすぶらせたまま放置されているヒトも多いのではないでしょうか。

では、どんな「怒」が本来あるべき姿なのでしょう? いわゆる正当な「怒」はあるのか? ということです。この問いの答えは私たちの記憶の中にあります。実のところ、だいたいのヒトは、まだ子供の頃に正しく怒りを使っていたり、それを目撃しているはずなのです。

例えば、小さな子供が砂場で遊んでいるときに、ふいに砂をかけてきた子がいたとします。このとき「止めて!」と怒って、相手の暴力を跳ね返し、自分を守るのが正当な「怒」の使い方です。やはり生きていれば怒らなければならないときもあるということですし、こういった怒りは誰かを傷つけるようなことはありません。ただシンプルに「止めてよ!」と「怒」で跳ね返すことで自分を守り、問題を食い止めるということは、恨みなどの被害者意識を引きずらないということにも繋がります。

少し話しは反れてしまうかもしれませんが、以前、私は自分の「怒」に救われたことがあります。

二十代前半くらいの頃でした。その日、友人たちと盛り上がった私は、帰宅時間が深夜になってしまいました。もう終電もなく、その時一緒にいた友人の一人が車を運転して順に皆を家に送るということになったのですが、私はこの日、駅に自転車を置いていたため「もう深夜2時だから家の前まで送るよ」という申し出を断り、わざわざ駅前の自転車置き場で車を降りたのでした。

大通りを走っているときは何も問題はないように思えました。ところが、車の往来もない通りで、いかにも柄の悪そうな男二人が乗る車が私のあとをつけ始めたのです。

自転車は小回りが利きますから、すぐに脇道へ入って車を遠ざけようとしました。一方通行が多い細い道が入り組んだ住宅街だったので、すぐに逃げられると楽観していたのです。

ところがその連中は、かなりその地域に明るいらしく、どの脇道へ逃げてもあっという間に正面から回り込んで来るのです。

静まり返った深夜、ニヤニヤと笑うガタイの大きな男二人に追い掛け回されて、今にも車の中へ引きずり込まれそうになります。このままでは連れ去られてしまう、と、本当に恐ろしくなり、必死で逃げました。そして、その執拗な追いかけっこが20分くらい続いた頃だったでしょうか。

とうとう狭い道に追い詰められてしまいました。もう駄目だ、と思ったその時です。二人の男のあまりのしつこさに、急に私の心を占めていた恐怖心を完全に上回る大きな怒りがメラメラと込み上げてきたのです。

あまりにもしつこく悪質だ!

強い怒りによって冷静になった私は、よーし、このくらいの声の大きさで、こう怒鳴ってやろうと自分のこれからの行動を淡々と計りました。そして思い切り怒鳴ったのです。

「いい加減にしろ!!!」

 ガオーッ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

驚きました。自分の怒鳴り声に。おかしなことを言うようですが、怒鳴った瞬間にライオンのような巨大な猛獣が私の横で一緒にすごい勢いで吠えた幻覚が見えました。その「怒」のエネルギーは凄まじいもので、あまりの迫力に、ここまで威嚇するつもりはなかったのにと相手に同情した程です。

見るとそのいかつい二人のチンピラのような男たちは、青ざめ、目を丸くして、身をすくめて固まっています。完全に怯えきった顔でした。その瞬間、まるで時が止まったようになり、今を逃してはいけない! と私の意識が跳ね起きました。

素早く自転車の向きを変えて、車と塀のわずか70センチくらいの隙間を通って死ぬ気で自転車を漕ぎ出しました。振り返ると我に返った男が必死でハンドルを切ってこちらに向かおうとしています。しかし、道幅が狭すぎて思うように動けません。助かった! そのまま一目散に逃げたのは言うまでもありません。

自宅に入ると急に身体がガタガタと震え出し、まともに立っていることもできなくなりました。やっとの思いで眠っている妹を起こし、今しがた起こったことを話すと、彼女もブルブルと大きく震えて泣き出し、「お姉ちゃんが怖い人でよかった」と涙ながらに言うのでした。…あのね、そうじゃなくて、ライオンが…。

これはにわかに信じ難い話だとは思いますが、私にとっての真実です。ここで一つ言い添えておくべきことは、こういった危険にさらされた時には、相手を怒鳴って叱りつけようなどとは考えずに、「助けて!」「110番!」と叫ぶのが本当だということです。(笑)決して真似をしてはいけません。そうしようという方はいらっしゃらないと思いますが。

ちょっと不思議で極端なエピソードになってしまいましたが、これも「怒」を使って自分を正当に守った例とも言えなくもありません。このように(?)「怒」とは出すべきときがあり、それは正当なものであるのです。

逆に控えるべき「怒」とは、八つ当たりの怒りであったり、いたずらに攻撃的な怒りです。自分を守るためとはいえ、「怒」で攻撃を繰り返していくことはやはりお勧めできません。

その場でパッと埃を払うように「怒」で相手の攻撃を跳ね返して、それで終わりです。「怒」も爽やかであることを目指すべきだと思うのです。

もし、仮に「怒」を内に秘め、それがじわじわと滲んできてしまうようなことがあれば、それは「恨み」という、自他共に害するさらなるネガティヴな感情へと変換された形で出現するかもしれません。

人の感情を伴う行動は必ずと言っていいほどエスカレートしていくものですから、「怒」はあくまで自分を守る、よくないことを跳ね除けるためのものであって、その場でパッと出してパッと終わらせることが肝心です。そこから先の対応や関わりは、もっと冷静な判断のもとに考えることが良いでしょう。

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