2009.06.15   

第29話:ブレークダウン・ブレークスルー・セミナー その1

その場限りのセミナーは時間の無駄

2006年11月、成基コミュニティグループは「ヒューマン・ドリーム・サポート・セミナー」(以下、HDSセミナーと略す)というひとつのセミナーを行った。

 このHDSセミナーは、「私たちの大いなるミッション(使命)は、地球・国家・地域レベルの様々な課題に対して『人づくり』を通して問題解決を図ることである。そして、自立した人間として、仕事を通して人に喜びや感動を与えられる能力を高め、感性豊かな本物の人間になるため、自ら鍛え上げることである」と謳う成基コミュニティグループのグランドミッションを背景に、社員の「夢と人生目的」を明確にさせる全社員対象のセミナーでああった。(第9話:「HDSセミナー開始」と第10話:「HDSセミナーから天命を考える」参照)

 結果、このHDSセミナーによって、社員たちは、弊社のグランドミッションにアラインしたパーソナルミッションを確立することができたわけである。

 これは、まさに我々がヒューマン・ドリーム・サポート・カンパニーの一員とし、個々のパーソナルミッションから沸き起こる行動によって、顧客に感動を与え、さらには顧客からの信頼を得るための第一歩であったと言える。

 しかし、当時はまだパーソナルミッションを創作したばかりである。そこからよりパワフルな行動を呼び起こし、自らのパーソナルミッションに向き合って、社員全体で研鑽・深耕していかなければならない。

 そこで、私は研鑽・深耕のための新たな社員セミナーを小規模なグループごとに分けて行うことを提案した。

 まず、このセミナーでは、パーソナルミッションを確立してから、現在までに起こったトラブルや思い通りにいかなかったこと(ブレイクダウン)と自分自身や周りに顕著な成果が現れたこと(ブレイクスルー)を社員同士シェアすることから始まる。

 そこで生じる気づきと、自らが作り出した成果がパーソナルミッションとして人生を創作しているかどうかを観察し、可視化するプログラムである。

 そして、それらを何度も積み重ねていくうちに、そのパーソナルミッションは頭の中の理想だけに留まらず、真に自身のものとなり、その身を通して本物の感動と信頼を顧客と我々の間に築くことになるのである。

 世の中には多くのセミナーや勉強会が日常的に行われている。

 しかし、私が考えるセミナーの意義とは、その場限りで納得させて終るものであっては決してならない。

 HDSセミナーの趣旨、すなわち「社員の夢と人生目的の明確化」は弊社のグランドミッションに通じるものである。

 だからこそ、社員の中に常にRemain(存続)するものであり、Remind(気づかせる)ものでなければ意味を持たないのだ。

セミナー開始と挙手の意味

新しいセミナーが始まった。

 名づけて「ブレイクダウン・ブレイクスルー・セミナー」(以下、BDBTセミナーと略す)。

 グループごとに分けられた参加者は毎回20名前後である。

 成功する企業は一人ひとりの社員の成功の集合体だ。

 高い目標を持たず、自分にできることだけをやっているようでは成長などあり得ない。

 だからこそ、パーソナルミッションを掲げ、それを自分のものにできるよう日々考え努力することが必要なのだ。

 さて、以前ご紹介した勉強会「喜感塾」(第25話、第26話:「喜感塾で自分を語る その1 その2」参照)では、私がファシリテーターであったが、今回のBDBTセミナーでは、ファシリテーターを参加者の中から挙手によって募ることになっており、半数がファシリテーターに立候補した。

 通常はこの時点で、適任を選び、セミナーに入るところだが、BDBTセミナーはこの部分にかなり重きを置く。まず、挙手をした人は、なぜ挙手をしたのか、逆に挙手をしなかった人はなぜできなかったのか、また何があったら立候補できたのかをシェアーしてもらう。

 ファシリテーターは講師ではない。また単なる司会進行役でもない。

 ファシリテーターは、セミナーを正しい方向に、つまり、意図している結果を導くことができるよう、参加者を促す役割である。

 これはかなり難しいし、役を買って出た本人にとっては大きなプレッシャーとなる。

 その難しい勤めにどれだけの人間が自信を持って挙手(立候補)できるのかに私は注目した。

 挙手のあと、参加者たちは、ふたり一組となりその理由を互いに述べ、聞きあって意見 をシェアする。

 ここに出てきた意見の中で印象に残ったものだけをご紹介したい。

<ファシリテーターとして挙手をした理由>

○ やりたくないと思う自分に嫌悪を感じ、その嫌悪感を振り払うために勇気出した
○ ここで手を挙げないと、自分のパーソナル・ミッションが嘘になる
○ 挙げたくなかったが、自分を変えたい
○ 例え、うまくファシリテートできなくても、みんな温かく見守ってくれると信じていたので、恐れがなかった。
○ ここで自分が手を挙げれば、自分の受け持つ校の塾生たちもがんばって手を挙げてくれると思った。

<ファシリテーターとして挙手しなかった理由>
 
○  挙げようと思ったけど周りが挙げたから止めた(多数)
○  今回は与えるより与えてもらいたい気持ちで参加しようと最初から決めていた
○  人前で誰かを導くのが苦手
○  ファシリテーターって何?役割が不明なため自分には無理(多数)
○  前回混乱してしまったので、とても役不足

私は、参加者全員が挙手ができるセミナーになることを願っている。

 日本人は「ああ、みんなだいたいこんな感じなんだろうな」と周りの様子を探ってから自分の出方を決める傾向にあるようだ。

 しかし、これでは子ども達を指導することなど不可能だ。

 自分の意見が言えないことはコミュニケーションが取れないことを意味する。

 それができないことの恐ろしさは昨今、子どもたちの中で起こる事件やいじめなどで誰もが嫌なほど思い知らされていることだろう。

 子どもは、受身でいるあなた(参加者)を通して何を学べるのか。

 失敗もそこで止めるから失敗−。成功するまで止めない、あきらめないことを社員自身の生き様から子ども達に伝えて欲しいと私は強く願っているのである。

 “手の挙がらない日本人”その印象を払拭するために子ども達を導くのは、ここにいる参加者たちの役目だ。その参加者の手が挙がらなくて、子ども達に何をどう伝えるというのだろう。

 まずはそのことに気づいてもらう、考えてもらうことがこのセミナーの出だしのポイントでもあった。

 意見を言うことや自分が場を導くというのは、自分の考えが相手にどう思われるか不安というのが概ねの理由だ。

 が、もし、聞いている側が「絶対積極の姿勢」で聞いていたらどうか。

 聞いている側は相手の意見に対し、積極的に参加し、その意見をシェアする。

 このような信頼関係があれば、もっと挙手の数は多かったはずだ。

 そして、あなたの言動に常に拍手が送られる場であるとしたら?

 もちろん、全員があなたの意見に賛成ではない。意見をシェアすることと意見に賛成ということは同じではない。

 拍手も然り。

 本来、拍手は、「あなたの言動が素晴らしかった」や「よかった」ではなく、あなたの話をちゃんと受け取りましたという意図で使われるべきものだ。

 そして、この行為(絶対積極の姿勢)こそが、同じ空気をシェアしている人間が受ける最大なる恩恵なのである。

 さあ、手を挙げよう。意見を述べよう。そして聞くものは拍手を贈ろう。

 BDBTセミナーは始まったばかりである。
 
*次回もBDBTセミナーについて続きをお話しします。

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