2012.10.29  

   第68話:絆 −従業員研修旅行・被災地へ― その5.

 6月6日の夕刻、ホテル観洋で「木の屋石巻水産」の木村副社長と社員、中村さんのお話、そして松川さんご夫妻への感謝状贈呈式が終わると、親睦会の中でその日行った「ガレキ拾いボランティア」のシェアが始まった。

 発表するのはバスごとにひとり、計8名(バスは合計8台)が、ステージの上でその日のガレキ撤去について感じたこと、思ったことを述べる。

 社員たちはその日の午後、行ったガレキ拾いに加え、木村副社長や中村さん、そして松川さんの話を聞き終えたばかりだ。

 ガレキ拾いのボランティアに重ね、思うことは山ほどあるだろう。

1号車の女性社員:

 ガレキ拾いで感じたことはふたつあります。ひとつは、その場で体感し、リアリティを感じること。そしてそれを、持ち帰りどう伝えるかです。

 今日、あの場所で土を触りながら、ここで生活していた人たちのことに思いを馳せました。そして、あそこで咲き始めていた向日葵を見て、前を向くことの大切さを感じました。

 でも・・・その向日葵がピンっとしていなくて、少し元気がなかったのを見ると・・・本当の復興はこれからなのだと、現実の厳しさを知ったような気がします。

 これをこれから自分なりにどう伝えるか―。

 私は直接、子どもたちと関わりのある部署にいるわけではないのですが、外部企業との接触が多々あるので、今回の研修旅行をいち企業の在り方、考え方として伝えていけたらと思っています。

2号車の男性社員:

 バスでガレキ撤去の現場に向かうと途中、北上川を通り、多くの犠牲者を出したあの大川小学校の説明をバスの中で聞きました。

 マスコミは多くが、犠牲者が出たのは誘導が正しくなかったのだと言っているようです。

 誘導ミスと聞いて、僕はふと自分のことと重ね合わせました。

 僕の教室にもたくさんの教え子たちがいて、もし、自分なら何かの時にその子たちを守ることができるのか、そればかりを考えながらボランティアに参加しました。

 今、何があっても子どもたちを守るために全力を尽くす。その決意をガレキ撤去に参加しながら固めることができたと思います。

3号車の男性社員:

 まず、目にした物、その空気の匂いを嗅いだ時、来ることができてよかったと思いました。「体感」が何より大切だと思ったからです。

 そして、この「体感」をどう伝えていくか―。風化させないためには何が必要か。

 「伝えることを伝える」ということだと思います。

 僕が50人の友人に伝え、その50人が2人ずつの友人に伝えてくれればそれは100人に伝わる。その100人がまた誰かに伝えてくれれば・・・と。

 そして、この経験を通じて僕は社会に貢献できる人間であり続けたいと今日、しっかりと思いました。

4号車の男性社員:

 僕が担当したエリアは神社が高台にありました。

 僕はそこに上り、周りを見渡しました。作業中のみんなの姿が眼下に広がっています。

 「ああ、もし津波が今、ここに来たら高台の上にいる僕は助かるのかな」

 そんなことを思いながら、辺りを見回すと僕のいる場所よりはるか高い木のとなりにガレキが積もっていました。波がとんでもない高さに来たという証拠です。

 この信じられないような現実を見て、僕たち人間は生きているのではなく、生かされていると感じました。そして、命ある者は、みな周りに支えられているのだと・・・。

 僕は見たありのまま、感じたままを子どもたちに伝えたいと思います。

5号車の男性社員:

 ガレキ堀りの中で、ひとつのグラスを見つけました。グラスなのに割れてもおらずきれいなままです。それがこれです(グラスを取り上げてみせる)

 この場所は3人で作業を行っていたのですが、不思議なことに3人とも同じグラスをそれぞれ掘り出したんです。3つとも割れてはいませんでした。それを見た時、被災した方々からのメッセ―ジが送られてきたのだと思いました。

 このグラスを持ち帰り、どうか、この大災害のことを多くの人に知らせてほしいと・・・。

 僕はそのグラスから聞こえてきた声をそのまま、伝えたいと考えています。

6号車の男性社員:

 東北大震災の報道を受けた当時、同じ日本人が大変なことになったと、僕自身、かなり心を痛めていました。しかし、一年以上が経ち、心の中に風化があったのでしょう。

 ガレキの中で割れた茶碗を見つけ、その人たちの生活を想像しました。

 同じ日本人として、このような大災害は生きている上で二度とない。それほどの大災害だったということを真摯に受け止めこれから生きていかなきゃと思いました。

 近くにいた佐々木代表から「その茶碗を持って帰って、子どもに伝えることもできるんちゃうか」と言われ、本当にそのとおりだと思い、茶碗を鞄に入れました。

 この茶碗と共に、この出来事を僕なりの言葉と表現で、子どもたちに伝えたいと思います。

7号車の女性社員:

 土の中からはたくさんの物が出てきました。

 シーチキンの缶、歯磨き粉など、本当に生活の一部としてそこにあったものがたくさん、たくさん・・・。私ひとりが手を入れた場所はほんのわずかですが、みんなが力を合わせればあの場所が本当にきれいになる。「協力」という力の大きさを身にしみて感じました。

8号車の男性社員:

 僕は青森の大学だったので後輩に東北出身の仲間がたくさんいます。

 震災の後、自衛隊の後輩は家の状況がわからないまま救護活動に向かい、一人暮らしをしていた後輩は家族の安否がわからない状態だったと言います。

 その話を僕は何気なく聞いていました。しかし、今日、バスの中から被災地の様子を見て本当に胸が痛かった。

 僕は今日のガレキ拾いのボランティアでは特別編成チームにいたので丸太の片づけをしました。

 本当にしんどかった・・・たくさん、たくさん汗が出ました・・・でも、この汗が東北の人たちの力に少しでもなればいいと思い、一所懸命がんばりました。

 気持ちのいい汗でした。

 僕は早く教室に帰りたいです。帰って子どもたちに伝えたい!

 この復興には時間がかかります。次の世代の子どもたちにこれからの日本を支えてもらえるよう、きちんと伝えていきます。

 今日、松川さんの奥様がボランティアに来ていただいてありがとうございますとお礼を言われましたが、お礼を言うのはこちらの方です。

 たくさんの学び、気づき、発見がありました。ボランティアをさせていただき、ありがとうございました!

 シェアが終わった後、私は社員たちに言った。

 「この経験を、そして今日聞かせてくださったお話を、自分の心の中に留めるのではなく、会話、そして文章を通して周りに伝え、自分の生き方を明確にしていってほしい」

 被災地というこの場に足を踏み入れなければ決して解り得ない貴重な体験だった。

 翌日には海が一望できるホテルのラウンジで「鎮魂の儀」が行われた。

 ホテルから一望できる目の前の穏やかな海も、震災直後、大津波が押し寄せる前には水が引き、ここと南三陸町との間に海底までもが見えたという。

 そして波がすべてを飲み込み、多くの命が奪われた。

 その人々の様々な思いを胸に、献花。社員全員で海に向かって合掌し、黙祷を捧げた。

 忘れない。そして、何よりも伝え続けていくこと。

 最後に挨拶をしてくれたホテル観洋の女将は言った。

「この出来事から多くのことを学んで、多くの人に伝えていってほしいのです。そして、どんな苦難にもあきらめない子どもを世に送り出してください。

 この被災地が元気になるためにも・・・。

 昨日はボランティア活動、本当にありがとうございます。心から感謝の気持ちで一杯です」

 研修旅行で被災地に入ってわずか二日である。

 その間に私たちは何度、感謝の気持ちを持ったことだろう。

 またどれだけの人たちから感謝の言葉をもらったことだろう。

 大切なのは、この被災地で幾度となく交わされた感謝の気持ちをこれからも忘れることなく、持ち続け、やはり伝えていくことなのである。

◆ 次回も引き続き研修旅行のお話です


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