2006/11/27    

第8話 人物との出会い

デザイン魂

「豊田!お前のデザインはなってない。やり直しだ」ある時T氏に言われた。

周りの人達が「これでいいじゃないですか」と言った。

「バカヤロー!俺の知ってる豊田はこんな所でOK

を出す男ではない。豊田、いつも言ってるデザイナーの仕事は何だか皆の前で言ってみろ!」と言われた。

「直面する問題を解決し、その結果産物が人に感動を与え近未来を示唆することです」と答えた。

「そうだろう。何を示唆しようとしたんだ。手を抜いただろう。やり直しだ」

「僕の才能はこの程度です」と答えた。

「バカヤロー、お前の才能は俺が知っている。考え方が甘い。脳みそが汗をかくくらい考えろ」

「・・・・・」

「豊田飲みに行くぞ」

「あの仕事が・・・」

「バカか飲み屋で脳みそが汗かくくらいお前に説教がある。寝なきゃすむだろう」

「・・・・・」T氏とのやりとりであった。

トヨダファン

上司のH氏はいつものように、

「豊田チャンがんばってる?」と言って肩に手をのせた。

「そんなにがんばんないで」

なぜか気になる人だった。なぜか淋しげな人だった。飲み屋で飲みつぶれてる姿しか知らなかった。

しかし、Hファミリーという世界をもっていた。

私に毎日激怒していたT氏でさえ「豊田、Hさんは人物だぞ。わかるか?俺はHさんの前に行くと

今のお前以下だ」と言った。

H氏の部下の仕事のデザインをしてコンペに勝ち、仕事を受注した。

納品にはH氏が立ち合うという情報が入った。

しかし、今日もどこかで飲みつぶれていると思った。明日の現場は大丈夫かなと思った。

翌朝、H氏が現場にみえた。二日酔いと傍目にも分かる。

「まずいなあ。イヤだなあ」と思った。

クライアント先の上司に呼ばれた。私とH氏は応接間に呼ばれた。何か嫌な予感がした。

「このたびは当社デザインを採用していただきまして有難うございました」とH氏は挨拶し出した。

H氏は、話し始めた。いかん二日酔いだ、話しの脈絡があってない。

クライアントの方は「ところで、Hさんどうですか、今回のデザインは?」と話しの方向を変えるべく質問をされた。

「はあ、私は百貨店の営業なのでよく分かりませんが・・・背広をお選びに・・・」

ダメだと思った。どう対処しようかと思った。

相手の顔がいぶかしげになった。

しかし、H氏はニコニコした笑顔で

「背広1着をお客様が納得してお買い求めになるには、最低300着が必要とされています。その中からやっと1着選ばれる訳です。うちの豊田のデザインも私共が想像を絶する数のデザインをしております。その努力たるや手前どもとしましても感動します。

そして、今日私が参りましたのも、どのデザインがどういう形でお客様の満足につながったのかを見たかったからです。

私はデザインがどうのこうのというのは分かりませんが、お客様に満足を与えたかを直接私自身で確かめたかったのです」

クライアントの方が言った「いや、我々の気付かなかったことを提示していただき感激しています。今のHさんのお話を伺っても百貨店の力を知りました。いや百貨店でこんなことができるのだという訳がわかりました。」

すごい!このおじさんすごい、「酔拳」だ、いや「仙人」だと思った。H氏に謝ろうとした。しかし

言い訳が出来なかった。

H氏に「すみませんでした」と頭を下げた。

H氏はニコニコしたまま私に背を向けて右手を振って「じゃよろしく」と言って帰っていった。

私にいつしかこのクセがついた。

人とサヨナラをする時必ずこうするようになった。

かっこいい。何事もなかったように心も念も残さず去る姿にあこがれた。

「人物か、かっこいいな」

その後H氏の部下との仕事は順調にコンペを勝ち進み連戦連勝となった。

そして、次の現場でコンペに落ちた。

「どうしてだろう。何がいけなかったのだろう」

後日、急伸するクライアントの事業の中で他の百貨店との関係でそちらに廻したとの情報が入った。

「何だ。今までの評価もそんなことだったのか」と思った。担当の営業が、先方から掃除道具一式400万円分を受注できたと報告があった。

H氏に報告に行くことにした。

「どうも今回は力が足りず申し訳ありませんでした」おごる心をいさめて、成長した自分を込めてそう言った。

「バカヤロー!」と怒鳴られた。

「テメエ一人で仕事してるんじゃない。チームで、仲間で仕事しているんだ。豊田チャンだけの力で仕事を取るほど、うちはだらしない会社じゃないんだ。デザインで取ったなどとうぬぼれるな!」

「・・・・・」

「なあ豊田チャン、掃除道具を取れたんだろう。それでいいじゃないか。相手もどうしょうもない力の中で豊田チャンのデザインに対して誠意を表したんだ。豊田チャンの魂が伝わったんだ。

僕たちの力不足で豊田チャンに泥を塗ってしまって申し訳ない」と言って深々と頭を下げられた。

それ以来H氏は、私のことを「先生」と呼ぶようになった。Hファミリーの飲み会に呼ばれるようになった。

人の噂では百貨店のふきだまりファミリーと言われていた。

その場にいた人は同じ志をもった人達だった。

出世した人、落ちこぼれた人が話し合いながら人間としての生き方を模索する人達だった。仕事を取ろうが取れまいが自分がどう考えどう行動したかをH氏を中心に話し合った。

H氏は、独白のようにこう言った。「先生、こういう人間もいるんだよ。こういう人間が評価され豊かに生きる会社・社会を作らなきゃおかしいんだ」

「・・・・」私は返事もできなかった。

「ワンオブオール、オールオブワン」

そして、諭すように私に言った。

「この世に生まれ、生き生きと生きる、親からもらったこの命を燃やし尽くす。そういう仲間なんだ」自分の空っぽなところが見えた。

ストンと入った。

「感謝の中で生きる」

「小さな事を大切にできない人間に大きな大切はできない」

「礼の中で生きる」

「1歳でも年上の人はあなたよりたくさんの経験をしている。必ず何かを持っている。礼を失しない生き方をしろ」と教わった気がした。

 

                                  続く

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