2007/05/21 
2008.09.28
 

第14話 「凶器から身を守る」

最近やたら多いのが凶器をつかった殺人事件です。つい先日も拳銃をもって立てこもり事件があったばかりです。

 

その前には、刃物による殺傷事件が相継ぎました。親が子を、子が親を殺すという獣のような事件は決して映画の世界ではなく、現実に起こっていることなのです。

 

殺すだけならともかく、殺した後バラバラにするという、しかもそれを興味半分でやっているというのですから、もう獣以下です。

 

獣でもやらないことを人がやっているのです。人の格好をした獣が人の中に混じって行動している現代の恐ろしさを思います。

 

一度こういった残虐なことが起こると連鎖反応で、似たような事件が続くものです。どこかで、モラルを回復させるべく人々に対し厳しく秩序を指導する必要があります。

 

こういうときこそ、テレビなどのマスコミなどが活躍しなければならないのですが、どこを見ても視聴率を稼ぐのに快楽を求めてばかりで、まったく話しになりません。

 

事件が起きると必ずコメンテーターと言われる無責任な輩が登場して言いたいことを言っていますが、視聴者側もその意見に左右されないよう気をつけたいものです。

 

なにせ怖いことです。思想のコントロールがマスコミを通して行われているということは。それを観る視聴者も良くないのでしょうが、お互い様という感じがします。

 

自分の意見をしっかりと持つには、自分の心を見つめる時間と、快楽に走る肉体を戒める鍛錬が大切です。良いものを観、良いものを聞き、良いものを味わい、良いことを行う・・・これを無理にでも自分に課せないと人はすぐ堕落します。

 

人には「戒め」が必要です。なぜなら肉体は、その生存のために物欲を欲しますので、つい楽なほうへ楽しい方へと流されてしまいますから。

 

このように、人というものは放って置けば大半の者が過度の物欲に負けてしまい、心もそれに従ってしまう結果になります。それに負けないよう戒めるのが稽古だと思います。

 

さて、私たちは、ついこのような物欲と快楽を追い求めてしまう獣の心をもっていますので、悪魔が立ち入る隙をみせないよう一人一人心を曇らせないよう日々注意を払わねばなりません。

 

いくら自分で自分を戒め、注意を払っていても、災難は向こうからやってきます・・・と人は言います。果たしてそうでしょうか?

 

災難と言うものを他の責任にしたいのでしょうが、私は、災難は自分の不徳により招来するものであると考えています。心闇なれば夜が訪れ、心輝けば朝が訪れるもののようです。

 

武道和良久は、災難に会わないような心構えをつくる稽古であると言ってきましたが、それでも「もし、相手がケンカを売ってきたらどうする?」「愛する人が襲われたらどうする?」と問われます。

 

「戦いにならぬように仕向けるのが平法(兵法ではない)であり、それが和良久なのです。戦いになってしまったら和良久はもう失敗です」そう答えますが、「いや、それでも万が一襲われたらどうします」と、しつこく問われたらこう答えます。

 

「そうなってしまったら、平和な和良久の技は使いません。戦闘用の格闘の技を使用します。ただし、その技を使用するときはもはや自滅です」

 

これからご紹介する技は、あくまで「兵法」であり、「平法」とは違います。そこのところをご了解ください。

 

下賎な話になりますが、刃傷事件の多い昨今、この凶器ことに「刃物」から身を守る心構えを多少知っておく必要もあるのかも知れません。悲しいことです。


 技を文面だけで説明するのは困難ですが、今回はその方法論を紹介します。和良久らしからぬ殺伐とした内容ですが、日に陰あるごとくで、ご了解ください。

 

まず刃物をもった相手を前にした時、基本的には決して素手で対抗しようとしないことです。

 

襲われた場合の基本原則はこうです。

 

まず逃げること。なりふり構わず逃げて逃げて逃げまくってください。そして、大声を出して助けを求めてください。

 

そして、逃げ切れない時、また、女性や子供が一緒に居た時など・・・の話しです。

 

以下は、極端な例ですが、私は格闘技をやっていた時代、ボディガードの仕事もさせられていました。そのときこのように教えられました。

 

相手が素手なら、こっちは棒を持て。

相手が棒なら、こっちは刃物を持て。

相手が刃物なら、こっちは拳銃を持て。

相手が拳銃なら、こっちはライフルを持て。

相手がライフルなら、こっちは大砲を持て。

相手が大砲なら、こっちはミサイルを持て。

相手がミサイルなら、こちらは核をもて。

相手が核なら、こっちもそれ以上の核をもて。

 

悲しいかな、以上が戦の方程式です。

どうです?命を賭けた争いと言うものはこういうものなのです。

 

またこれが武器の発達過程です。相手に応じた、より強力でより性能の良い武器の所持こそ勝利の道であり、戦争の基本的セオリーなのです。

 

卑怯も何もありません。なにせ殺し合いです。命がかかっているのですから。結局、これでいくと、国同士がつぶれます。いえ、地球そのものがつぶれます。それも覚悟で使うことを忘れてはなりません。

 

戦争とは地球の自殺行為なのです。だからです。絶対戦争はいけないのです。

 

話しは飛躍しましたが、似たようなものです。

相手が刃物をもってきたら、実際には拳銃をもつべきなのですが、民間人の場合そうは行きません。

 

ここでは刃物を対象に述べていきます。


 突然刃物に対し、身を守らねばならなくなった場合、まず「武道」という専門的見地から離れて一般的な対処法を紹介します。

 ボディガードの仕事もやっていたとき政界などの大物を警護していました。また、学校や保育園などにも依頼され、先生たちの防犯対策(護身術講習)の講習会もいたしました。

長くなりますので、今回はここで打ち切って、講習会でのマニュアルを次回ご紹介しましょう。

 

続く・・・

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