2007/10/29  
2008.11.10   

第20話「思い出の修行ノート」

今回は、前回の予告どおり技についてお話しさせていただきます。

技の解説については、いつも訳のわからないことばかり言ってますので、たまには写真や絵をごらんいただきましょう。

 

まず、下の写真をご覧下さい。私の若い頃の写真です。私は打撃系の空手の出身ですので、突き蹴りを専門としていました。

個々の写真をクリックすると拡大されます。

  

  

しかし、先にお話ししたように、空手とは打撃ばかりでなく、オールマイティーに戦える実戦的な技をもっています。ことに私の先生であった芦原英幸の技は、既成の空手を越えた華麗でパワフルな技術を私たちに叩き込みました。

右の写真は、芦原先生の三人掛け、つまり三人相手に試合を行っているところです。これをみてわかるように、先生は投げを多用していました。しかし、決して柔道のような強引なものではありません。支点、力点を駆使した、まことに理にかなった技であったのです。

受け技の順序はこうです。

 

まず、相手とは距離があるので、いきなりつかみ合いはできません。ですから飛び道具である打撃(突き、蹴り)から入って間をしめます。

 

例えば、攻めてくる相手に対し、まずそれをブロックし、パンチもしくは蹴りを返して相手の突進を食い止めます。そして、食い止めた瞬間、相手の襟や袖をつかんで、相手の横もしくは背後などの死角に入ります。

 

死角に入ったら、次は死角からまた一発、突きもしくは蹴りを入れて、暴れる相手を静かにさせます。参考までに言いますと、私たちはこの接近した位置からは「肘打ち」か「膝蹴り」などの強力な打撃を相手の顎か、わき腹に入れていました。

 

そして、相手が抵抗不能の状態になった時点で相手を床に引き倒します。引き倒して、それから落ち着いて、思い切り良く最後の「極(き)め」を行うのです。「極め」とは「とどめをさす」と言う意味です。

 

 倒した相手の極めは、上から踵で踏みつけたり、正拳で突いたり、肘うちで打ち下ろしたりなどがあります。

  

上二枚の写真は、道場稽古で行った技の極めです。

下二枚は、第一回全日本空手道選手権大会で実際に試合で使った場面です。いづれも確実に相手の死角へ回り込んで極めています。

  

こういった技を専門的には「サバキ」技と言いますが、こうして実際の公の戦闘シーンでサバキを使用したのは、空手界では後にも先にも私がはじめてだといわれています。

 

試合の形式が、「オープントーナメント」で「ノックダウンスタイル」です。

つまりどんな流派でも出場できるオープンな他流試合であり、寸止めではなく本当に殴りあうルールで、一般に言われるフルコンタクト制ということです。

こうした条件の中でサバキ技が用いられるのは本当に稀だと言われています。

 

その動きはまるで合気道のようだと讃美される方がいましたが、合気道では専門的に鍛えたプロの格闘選手相手に投げた例はいままで聞いたことがありません。合気道は型としては本当に理想的で美しいのですが、実戦ではまったく不向きです。あのような間のとりかたと体裁きでは暴れる猛牛のような相手を制することは夢のまた夢です。

 

ただ、当て身があった時代の柔術となると話は違ってきます。間をつめ、当て身で相手の動きを一瞬でも静止させないと投げることは不可能だと言うことは、昔の戦国武士たちはよく心得ていたのです。

 

まず当て身を加えることです。投げるのはそれからです。当て身のない合気道は牙を抜かれた虎のごときものです。

 

柔道も、柔道になる前は柔術と言われ、そのときは当て身を重要視していました。だから実戦に使えたのです。現代の柔道があんなに力任せにしないとなげられない見苦しさを露呈しているのは当て身を禁止しているからです。最も、それほど当て身というのは危険ということなのでしょう。

 

「気」の力があるから、などと漫画みたいなことを言っていたら、あなたは即座に殴り殺されます。まず人事を尽くすことを忘れてはなりません。そうすれば必ずそれ相応の気の力がはたらくものです。

 

現実を直視し、それをクリアして、それから奇跡の世界を探求しましょう。

 

こんな話をした私は、実は誰より奇跡の技を信じるものの一人です。だから和良久を稽古しているのです。

 

下のノートの絵は、私が内弟子時代(18歳)の時に書いていた自分のための覚え書きです。

 

丁度、今回の技の解説にあるとおりの箇所ですので、先の文章とこのノートの絵を見比べてご覧になっていただくとよけいわかりやすいのではと思います。暴れる相手を倒すには、このように打撃と投げを交互に行うことが要求されるのです。

 

このノートは、私が内弟子入りから空手界を離れるまでの期間の約20年間に流した汗と血がしみこんだ記録です。全日本選手として勝つことにこだわった時代の記録です。

 

芦原英幸先生の教えを一言一句漏れることなく忠実に記録し、技については表現しにくい部分はノートに絵で再現しました。もう34年も前のことで、ノートもぼろぼろですが、いまも私の心の糧として光彩を放っています。

 

その数、実に50冊以上にものぼり私自身の技の研究と変遷を記録していましたが、保存が悪くて行くえ知れずになってしまったものがあり、現在20冊となりました。

もっと大事にすればよかったと反省しています。

 

続く・・・

 

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