2009.10.07  

第36話 「神言」その3    

6、神言の整理

 さていつものように何だか話がややこしくなりました。ここらで整理いたします。

 「天津宮言もて、天津金木を本打切り末打断ちて、千座の置座に置足はして、天津菅曾を本刈断ち末刈切りて、八針に取裂きて、天津祝詞の太祝詞言を宣れ…」
 
 これを要約いたします。

 なお、これはあくまで私たちの稽古の上に沿っての略解ですのでご了承ください。  

『言霊の法則に従って「水茎文字=天津金木」を「ますみの鏡=言霊75声」に配列し「布斗麻邇御璽と水火の御伝=天津菅曾」をもって「天と地、水と火」を結ぶ祝詞を奏上(天津祝詞)したならば…天の神々は天の岩戸を開いてご登場なされ、大いなる祓いの技を開始され、人々の罪や穢れは綺麗に清められます。 

※天津祝詞は、宇宙を構成する基本的音階「アオウエイ」の音律調整の祝詞。

※ア〜天、オ〜地、ウ〜結、エ〜水、イ〜火(一霊四魂、三元、八力の一致)

 天津金木は神様のお姿、天津菅曾は神様のお力、そして天津祝詞は神様のお声をあらすものです。この法則に従って行ずる時、私たちは確かに神様の存在とご活動を感じ、世に神様の実在を証明することになるのではないかと思っています。そして、自らこの法則に従うことによって、人は大いなる神様の御心と御力を知ることになるであろうと信じています。

すっかり長文になり、解説どころか、よけい難しくなったのかもしれません。

 簡単に説明できないということは、まだまだ私自身がよく理解できてないことの証明です。本当にわかっていれば、小さな子供でも理解出るように話せるはずです。何卒浅薄な私をお許しください。

こういったことは、やればやるほど奥が深く、答えが出るどころかますます疑問が出るばかりです。 その疑問が湧き出たとき、むしろ喜びに感ぜられるようになったのは、少しは私も稽古人の端くれになったせいでしょうか。

ともあれ、一層稽古を積んでより多くの人々に簡潔に解説できるようになりたいと思います。私たちは技をおこなうばかりでなく、神言を奏上して「祈り」の道にも入っていただきたいということを今回お願いしたかったのです。出来るならば家庭に神様を奉斎し、日々、顕斎を尽くして、幽祭の道に親しみ、もって一層神様の手足となって活躍いただけたらと切望いたします。


7、稽古によってあらわれる効果  

天津菅曾学にはこう記されています。

「多人数が集まって同じ行事をすると、その場に一種の不思議な力がはたらいて、祈願をしていたことの成就が容易になることがある」 「大きな宇宙の気に触れると三つの感じにうたれる。

第一は、身体がピリッとして、ある崇高なるものに触れてシーンとする。
第二は、ものが言えなくなる。
第三は、もったいないという気持ちになる。 そして、人間は宇宙の神の力、生命によって生きていることを知る」

 「天津菅曾をもって鎮魂帰神をおこなえば、最も正しい神がかりを成就し、古今未曾有の功績をあげることだろう」 和良久の稽古でこのような感覚になっていただければ幸いです。 まだまだ述べたりませんが、神言についてやはり「天津菅曾学」にはこう記されています。「人界の乱れは神界の乱れ、神界の乱れは必然人界の乱れです。

 ゆえに顕幽を通貫する言霊は、天人に通貫して活用する言葉の威力です。

大祓行事(※)は、要するに言霊の発揮に外ならぬものですから、天津神、国津神の総出の潔斎です。

潔斎とは言向和(ことむけやわし)であり、すなわち言霊をもって誤りを正す高天原(タカアマハラ)の言葉の整理です。 

言葉をもって生命とする萬神、萬世、萬有は、この至厳の行事に基づいて、時間と空間を超越して、ことごとく大直日神直日(おおなおひかむなおひ)に根本潔斎されるのは当然です」

 ※大祓行事(神言奏上、禊の神事〜大本における節分大祭行事にあたるもの)みろくの世到来を願う私たちは、折にふれ心してこの神言を奏上し、稽古(禊の神事)に精進させていただきたいものです。

 

8、武道と宗教  

「和良久は大本で生まれた武道であり、武道は国教である神道の表現である」ということはいつも申し上げることですが、私は決して宗教をもつことを恥ずかしいこととは思っていません。むしろ宗教をもたないことのほうがこの日本にいて恥ずかしいと思う者の一人です。事実、和良久は既成武道の技と思想を一切参考とせず、すべてを大本の教えだけで組み立てることができました。

先輩である合気道も大本で生まれましたが、その技のルーツは大東流合気柔術という武術であり、思想のみ大本の神観をもって創設されたにすぎません。

 私は理念と実践は別物であってはならないと思っています。また人間的な浅い知恵で技に工夫を加えてはならないと思っています。

 工夫など加える余地のないほど言霊というものは確たる存在なのです。稽古とは正しい理念(法則)のもとに動くべきものであると思います。なにより動きの中から自然に様々な情報を見出していくべきものではないでしょうか。

私たちの体には宇宙のメッセージがしっかりこめられています。いにしえより定められた言霊の法則に従って体を動かすとき、眼前に広大無辺な宇宙のありさまがありありと現れてまいります。

いずれにせよ、稽古のたびに言霊という素晴らしい太古のテクノロジーがもつ強大な威力に驚嘆するばかりです。

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