2010.09.07   

第49話 「和良久の説明〜武道とは何」

1、武道とは

武道は日本が世界に誇る霊的文化遺産です。武道は日本そのものの在り方をあらわしていると同時に、人類のこの世におけるルールを示しています。

まず武道とは何か?武道は日本において太古から三種の神器といわれる「璽鏡剱(じきょうけん)」のうちの剱のことを指します。「武道とは矛を止める道」ということは一般に言われている解釈ですが、では、この「矛」とは一体何でしょう?

矛とは古事記の冒頭に書かれている、神様がこの世を創造される際に使われた道具「天の沼矛(あまのぬほこ)」のことです。これで、まず矛とは破壊の道具ではないことが分かります。そうなりますと、矛を止めるとは創造する力をわが五体の中心に止める(納める)ことと理解する方が正しいようです。

矛は、「火凝」とも書きます。火は霊的な力を意味します。ですから矛、つまり火凝とは「霊的力が凝縮したもの」ということです。そして、その矛からほとばしる光のことをツルギと言います。剱の活用により、この世の闇を消し去り光を取り戻すのです。また剱の活用は「まったく釣り合わせる」という意味をもっています。祭りという本来の意味はここにあります。すべてのバランスを整え、和合し結ばせるのも剱の活用なのです。

この剱に対し、刀(かたな)があります。刀は、片方を無くすという意味です。刀は、相手の存在を消すのが目的で造られた殺傷のための道具です。剱の意味を知り、その根源である矛の力を追求することこそ武道なのです。


2、武道は神道と同意義

矛は創造主である神様がおつかいになったものです。つまり、武道の稽古とは神様のお働きを偲び神に仕える道でもあります。神道そのものが武道であり、そこに今の武道家たちが考えるような、護身術だとか、競い合うとかいう概念はどこにも存在しません。

さて、その剱の稽古はどのようにして行えばよいのでしょう?山野に分け入り刻苦研鑽して心と技を極めるのでしょうか。または数限りなく勝負を繰り返して名をあげることでしょうか。いえ、そのどれでもありません。答えは簡単です。ただ神道本来の目的を知り、その教えに従うだけです。神道の目的とは祓い清めの技の遂行です。そして教えとは言霊の法則に従うということです。これは神道の最重要な祝詞である「大祓祝詞」、またの名を「神言(かみごと)」という祝詞に記されています。

 

3、日本神道の精髄〜神言

神言は、一身一家はいうに及ばず、世界中が危難に遭遇した際には、この三つの力「天津金木」「天津菅曾」「天津祝詞」を用いなさいと教授してくださっている祝詞です。その三つの力によって災いは祓われ、世界はもとの綺麗な姿にかえることを神様にお願いしています。

天津金木は、大宇宙のご神霊をお呼びするための祭壇を築くことです。すなわち、ご神殿の造営です。天津菅曾は、ご神霊の力と結ばれるための鎮魂における作法です。すなわち、殿内における祭式法です。天津祝詞は、鎮魂における正しい言霊の発声、すなわち祭典時に奏上する祝詞です。

これらを分かりやすく申し上げますと、正しい心(天津金木)、正しい行い(天津菅曾)、正しい言葉(天津祝詞)を同時に用いなさいということです。よく「言行心の一致」と申しますが、この三つが兼ね備わってこそ世の中も人々もよくなるということは神代の昔から説かれていることなのでしょう。

 

4、和良久の稽古

 和良久は、この神言の内容に従って稽古を行います。和良久では神代より伝えられた「ますみの鏡」「水茎文字」「布斗麻邇御璽」「水火の御伝」という四つの表と、剱(佐々木小次郎が残した木剱)を用います。「ますみの鏡」と「水茎文字」は天津金木であり、和良久の理念をあらわします。「布斗麻邇御璽」と「水火の御伝」は天津菅曾であり、和良久の実践をあらわします。 そして、これら二つの要素がうちそろったところで、天津祝詞、すなわち言葉に出して神様に祈りを捧げます。この言葉には、その背景に理念と実践が裏打ちされていますので、非常に大きな権威と力が秘められていると考えられます。

いよいよ言葉が言霊となって宇宙に響く瞬間を迎えるのです。三つの霊的力を使用する権限を司る神様を瑞の御霊の大神様と唱えます。これは剱の神様、スサノオノミコト様のことです。このように、和良久は、何流の武道とか健康法とかいった類ではなく、世を清める大神様の手足となるべく行を積む天啓の行法であるといえます。

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         第50話 「タテとヨコ」につづく


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