2010.09.29   

第50話 「タテとヨコ」

たとえて言えば、天津金木は「ひもろぎ」で、天津菅曾は「大麻(おおぬさ)」です。

(ひもろぎ 〜八つ折りの紙を左右四つづ重ね、麻の苧と一緒に松の枝に下げて神様を降臨していただく神様の仮の御座所)


 (大麻〜八角の棒にたくさんの八折りの切り紙を、麻のとともに垂らしたお祓いの道具)

 八足台饌(けん‐せん)し、ひもろぎを設えて、「オ」の言霊によって祓戸四柱の大神様を降神していただきます。そして大麻をもって祓戸の大神様の浄化の技を執行します。大麻には細かく裂いたように折った切り紙が無数につけられています。この無数に無限に分かつことを「八針に取裂きて」といいます。

 八百万(やほよろず)と言いましても、決してその書かれた数字である八百万(はっぴゃくまん)を指すのではありません。これも無数を意味します。天津金木は今風に言いますと、宇宙のエネルギーを集積させるものです。また、テレビやラジオのように電波を受信する機器的なものと考えてもいいでしょう。

 いくらよい情報があっても、それを受け取る手段がなければ意味がありません。高い尊い情報、神様の声を得るためには、やはり高性能のよい受信機が必要です。天津金木は神界へ通じる最高の受信機です。大本で言えば、教主様が天津金木の役割となられています。
宇宙を創造された偉大な神様がいらっしゃっても、大神様が宿られるにふさわしい「ひもろぎ」となるべき方がいないと、私たちは大神様のお言葉や力を知る術はありません。私たちにとりまして「なぜ教主様のご存在が尊いのか」というのは、神様とわれわれとの橋渡しをなさっておられるからです。これは「神様の御指名」なのです。教主様は天にも地にも代用のない唯一無二のご存在です。

 また、この世の成り立ちには、タテ軸とヨコ軸があります。宇宙のバランスだと思います。「天津金木を本打ち切り末打ち断ちて」と申しますのは「タテ」の活動を表す言霊です。また、それに対し「天津菅曾を本刈り断ち末刈り切りて」は「ヨコ」の活動を表しています。万物のエネルギーは、タテ(その用は水)とヨコ(その用は火)で十字に組まれてこそ力が発揮されます。それはプラスとマイナスの電気に代表されます。

 前と後、上と下、右と左、陰と陽、光と影、男と女など万物の二極が一つに結ばれることを「組む」といいます。私たちの国、日本では、この世で対局する二つの存在を「火と水」というシンプルな表現をつかっています。武道においては「雷撃電飛(らいげきでんぴ)」と申します。

 雷撃〜タテの力 ・・・強さ  固い   上下  霊 心
 電飛〜ヨコの力 ・・・優しさ 柔かい 左右  体 物質

 組むというのはこの対局するものが十字に合わさって完全に結ばれた状態をいい、火と水が組まれている姿を「火水(かみ)〜神」と称えます。

 タテは強さ、固さを表します。
 ヨコは優しさ、柔かさを表します。

 大本においては、大神様がタテで、教主様がヨコとなってご活動されます。しかし、信徒たちを教導される場合は、教主様はタテとなられ、私たちはヨコとなって付き従います。また、会社においては社長がタテとなれば社員はヨコとなりましょう。

 天津金木は理念、天津菅曾は実践です。
 公正で確かなルールあればこそ、私たちはそのルールに従って安心して動くことができます。

 天津金木と天津菅曾は「心に従って体が動く」という霊主体従の法則です。確かな理念あってこそ、確かな行動が生まれます。心の在りかを神に求め、その示すところに従って日々を送ることこそ本当の幸福があります。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
         第51話 「十戒と神言」につづく


志あるリー ダーのための「寺子屋」塾トップページへ