2011.07.19     

第62話 和良久解説(序章・理念・稽古)

                    序章


  私たちの住むこの世界において、天地創造の神は、たびたび目に見える形でご自身の意思を伝達されます。

その昔、エジプトのシナイ山において、神は石に文字を刻み、それをモーゼに与えました。日本においては、神は滋賀県の琵琶湖の水面に不思議な文字を刻み、それを出口王仁三郎に与えました。

また特筆すべきことは、神は直接人に懸かって文字を記されることもされました。神がご自身の手として、地上世界から唯一選んだ方の名は出口直。のちの大本開祖です。

このときは、出口直の手を通し、平易なひらがな文字をもって詳しく神ご自身の意思を記されました。これはのちに出口王仁三郎の手によって漢字があてられ、わかりやすく整理されて「大本神諭」という本になり、広く一般の人々に公開されました。

水茎文字(瑞組木文字とも書く) このように、石に刻むか、水に刻むか、または筆をもって紙に記すかの違いはありますが、その文字の伝える人類への警告についての内容はまったく同じです。

その琵琶湖に刻まれた文字は通称「水茎文字」といわれ、その数は75あります。

この75の文字を、古来より日本の神道に伝えられる「天津宮言(あまつみやこと)」という方法をもって解読しますと「宇宙の形」「宇宙の動き」「宇宙の音」など、多くの驚くべき法則が見出されるのです。

和良久は、この天地創造の神が授けた法則を、世界中の人々に伝達するために生まれました。

ちなみに、和良久という名は、出口王仁三郎の孫にあたる出口聖子大本四代教主によって名づけられた名で「恒久平和」という意味です 。


          理念
 
  日本の神道は、祝詞という祈りの言葉の中に出てくる「祓い給え」「清め給え」という言葉が基本理念になります。

「祓い」とは心と体のクリーニングを意味し、「清め」は美しく清らかな状態を意味します。「給え」は「〜をしてください」という丁寧な願いの言葉です。

心と体がクリーニングされますと、聖なる気が生まれ、そこに神が宿ります。

   この神と一体となることを「鎮魂帰神(ちんこんきしん)」といいます。

「鎮魂」とは神の霊が人の心に宿ること、「帰神」とは人が神と一つになった状態をいいます。人は神と一つになることによって奇跡的な力をもつことができます。

この「鎮魂帰神」の方法、すなわち「心と体を祓い清める」方法は、祝詞の中に述べられている「天津宮言」という日本で最も古い理念で出来ています。

 

天津宮言の表(和良久稽古表)

       天津宮言の表(和良久稽古表)

「天津」とは宇宙、「宮言」は神の呼吸という意味で、一般には「言霊」と称します。

「天津宮言」は、「天津金木(あまつかなぎ)」「天津菅曾(あまつすがそ」」「天津祝詞(あまつのりと)」の三つで構成されています。

「天津金木」は、神の全エネルギーである「75の形」を表しています。

「天津菅曾」は、神の全エネルギーである「75の力」を表しています。

「天津祝詞」は、神の全エネルギーである「75の音」を表しています。

 和良久はこの「天津宮言」の法則を学ぶ日本最古の武道です。

さて、ここで「武道」の本当の意味を説明します。

 ご承知のように武という字は「矛」を「止(とど)める」と書きます。「矛」とは、神のエネルギーが凝縮したものという意味です。そして「道」とは神と人とをつなぐルートのことです。つまり武道とは、神のもつ大きなエネルギーを体内に注ぎ込む「鎮魂帰神」の技術のことなのです。神のエネルギーは螺旋を描き、光を放射しつつ無限に拡大し無限に凝縮します。

和良久の稽古は、「天津宮言」が書かれた表を見ながら、「矛」の形を具現化した特別な道具「木剱(ツルギ)」を使って秩序ある正確な螺旋運動を学びます。螺旋運動を生み出す木剱は「鎮魂帰神」を行うためになくてはならない大切な道具です。

木剱の形状    木剱によって生まれる力の方向

                     木剱の形状  木剱によって生まれる力の方向

稽古

日本では古い伝統のある技術を学ぶことを稽古といいます。

 稽古とは、自分の心を、その技術が生まれた時代にタイムスリップさせ、技を生み出した人がどのように考え、どのように動いたのかを思いながら鍛錬することです。

 本当の稽古とは、すべての原点に帰ることです。和良久は「天津宮言」というタイムマシンを使い、「木剱」というナビゲーターに従って宇宙創造の時代にまでさかのぼります。

木剱の手付図 和良久の稽古は木剱を使いますが、木剱は武器ではありません。わかりやすく言えば、木剱は楽器と同じです。

なぜなら、木剱の動かし方は、強く握りしめて振るのではなく、ギターやフルートやピアノなどの楽器と同じように、両手の指で優しく扱うからです。

 

私たちは、木剱を動かす時に天津宮言の表に従って、六角形をした木剱の角と面に、左右の人差し指の付け根を正確に押えます。これを「手付」と言います。

 正確に手付を行うと木剱は緩やかなリズムを刻みながら旋回を起こします。これを自転運動といいます。惑星の自転運動と同じ意味です。

 そして、自転運動と同時に、木剱は大きく旋回します。これが公転運動です。私たちの体は、この公転運動に従って動くことになります。

このように、まるで和良久は音楽のようです。 天津宮言の表が楽譜で、木剱が楽器です。

  ギターやフルートやピアノなどの楽器が正確な音を出すためには、音階を刻む手先の細やかな動作が欠かせません。同様に、武道も力まかせに行うものではなく、心静めて落ち着いてこそ確かな技が身に着くものなのです。


 



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