2011.10.31       

68話 「稽古とは神様の真似をすること」

私たちの言う稽古とは、神様の真似をすることです。神様の真似とは言霊を学ぶことです。言霊を学ぶとは正しい心、正しい言葉、正しい行いをすることです。「言霊の助けによりて大神の御心を直覚(さと)り」と大本の祝詞に書かれているとおりです。

言霊のはたらきは水茎文字(天津金木)に秘められています。神様はご自身の存在を75の水茎文字にしたためられ人類にご自身の存在を明らかにされたのです。この水茎文字に示されたことを行うことこそが「神様を真似る」ことです。ですから稽古をするとよい人になります。よい人になれば世の中がよくなります。

稽古は道場ばかりで行うものではありません。道場へ来て行う稽古は心身を洗い清め、それまで行動してきたことへの反省を行うことです。稽古は、自分という存在がいまここにいて動き、話し、思うことの中にあります。この世に生まれてきたことそのものが稽古です。神様の真似をして心身を清め、よい人になって彼の岸へ帰っていくのです。私たち稽古人は何事も稽古と思って行動します。なんでも稽古と思ってやればつらいことなどありません。

息をするとき息をするという稽古をします。言葉を交わすとき言葉を交わすという稽古をします。歩くとき歩くという稽古、座るとき座るという稽古、食事をするとき食事をするという稽古、考えるとき考えるという稽古をするのです。私たちが生きて行動しているすべてのことが稽古なのです。稽古は向上への道です。ですから次はもっと上手になっています。もっとよい人になっています。稽古は修行とは違います。楽天主義で学ぶのでなければ本当の神様の真似は成就しません。

よき人になる稽古は、欲望を克服する術(すべ)を学ぶことでもあります。欲望は名欲(権力)、金欲(財力)、色欲(肉欲)、食欲(飽食)、睡欲(怠惰)の五つがあります。もっと偉くなりたい、もっとお金がほしい、もっと異性の注目を集めたい、もっと食べたい、もっと楽がしたい。このように私たちは、常にあれがほしい、これがほしいという過剰な物欲心をもって生活をしています。これが心のまなこをくらませ、内なる神の存在を認めなくしてしまっています。この欲望を練り鍛えて正しく改めるのが「鎮魂帰神の神術」です。「鎮魂帰神の神術によりて村肝の心を練り鍛えしめたまいて」と大本祝詞にあるとおりです。この鎮魂帰神の神術となるのが和良久の稽古です。



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