2013.02.18

                 第92話 「天津金木学 2」
  1. 天津金木は大祓祝詞(神言)に出てくる名称である。

  2. 大祓祝詞は、中臣祓詞(なかとみのはらいことば)とも言われ、天照大神の岩戸隠れの際に祝詞を奏上した天児屋命の子孫である中臣氏が京都の朱雀門で奏上したのが始まりである。

  3. 天津金木の本来の使用者はこの中臣氏の任務であり、われわれが天津金木を置くときは、中臣氏に代わって使用するのであるということを心得なくてはならない。

  4. 天津金木は大祓の行事にのみ使用されるべきもので、軽々しく行うべきものではない。

  5. 天津金木の使用場所は、創造主を祀りたる大祓の斎場であり、行事時期も6月と12月と定めれている。それ以外は緊急の国難に際してのことである。

  6. 通常の天津金木運用は本番に備えてのあくまで稽古ごとである。以上を心得ぬと飛んだ不敬を犯すことになる。

  7. 天津金木は、「本打ち切り」と「末打ち断つ」ということを了解することが大事である。この意義は倭姫命世記にある次の文を熟考されたし。

    「黒(きたな)き心なくして、丹心(まごころ)をもって、清く、潔(いさぎよ)く斎慎(いわいしず)め。左の物を右に移さず、右の物を左に移さずして、左を左とし、右を右とし、左に帰り右に廻る事も万事違ふ事なくして、大神に仕へ奉れ。元(はじめ)を元とし、本(もと)を本とするゆえなり」

  8. また、本(もと)は前世の因縁、末(すえ)はそれを引きずる未来。この輪廻にまつわる悪因縁を根本から裁断し、今という瞬間を正しめる技こそ天津金木の威力である。

  9. 天津金木は、千座置座(ちくらのおきくら)に置き足はすという作法が重大である。千座置座あってこそその効力を発する天津金木である。

  10. 千座置座とは、言霊75声の形を完全に置き足はす場のことである。

  11. 天津金木を行ずる者は、仕えし君に背き、われをこの世に出だした両親をないがしろにするなどの形あるべきものにあらず。

  12. 末を学んで源を明らめることなければ、何をなすにおいても過ちを生ずるものなり。

  13. 源というのは、心に一物をたくわえないことをいう。しかも虚無の中にも留まるべからず。

  14. 天地あり、君と親あってこそ吾があるを知れ。これ知らずば善悪の報いたちまちにして現る。

  15. 己が欲を捨て、人を利するを先として物事に当たること。
    鏡が物を照らすがごとく、明々として迷わぬことをまことの正直という。

  16. 時代が代わり、世の中が乱れたからとて、それに流されて自らを賤しむ行為に走ってはならない。天地のはじまりは今日がはじまりと思い生きよ。

  17. 君や親が尊き神のもとにあることを思い、つねに祖先を敬して己を省み、神への誓いを忘れず、正しき中にもより正しきに生きることをこころざし、よこしまな道に迷わぬよう心得ること。

  18. 天津金木は、布斗麻邇(フトマニ)である。布斗麻邇のフトは公で、マニは式であり公式という意味である。宇宙のもっとも公正なる道に基づく規律正しい作法が天津金木である。

  19. 天津金木を占いという者があるが、これは怪しげな魔術やまじないの類ではなく、天地の規律を厳守し、いにしえにおいて公式とされた作法である。

  20. 天津金木は、「隠身(かくりみ)」「仮凝身(かごりみ)〜創造神」「輝身(かがりみ)〜統一神」「駆身(かけりみ)〜自在神」「限身(かぎりみ)〜限定神」の五種神身を説く。

  21. 「隠身」は創造神、統一神、自在神、限定神の四つを包括した存在である。

  22. 天津金木の中には、自在性が宿り、統一性が漲り、創造性が旺盛し、限定性が保たれているのである。

  23. 隠身は「スメ・タカアマハラ・ミコト(皇高天原命〜天御中主大神)」と申し上げる。

  24. 天津金木学は、皇高天原命の実在を顕示し、創造、統一、自在、限定の理法を発見し、万有の存在価値を解説するものである。

  25. スメとは、ス(「○」の中に「・」の印)が見えるであり、隠身の本質を表す。

  26. スメとは、「統べる」であり、統治する意味である。

  27. スメとは、「澄み」切るであり清浄無垢を表す。

  28. ミコトとは、御言であり万有の本源たる御親を顕示する。

  29. ミコトとは、尊い方という尊称である。

  30. ミコトとは、詔命の儀であり、ミコトノリである。

  31. スメミコトとは親権、主権、師権を表す。

  32. タカアマハラは、次の三つを意味する。

  33. @タカアハラ〜光明遍照〜鏡
    Aタアマハラ〜摂取不捨〜玉
    Bカアマハラ〜無碍円融〜剱

  34. 天津金木学は、わが国の宝である三種の神器を現す根本学である。

  35. 神を信じる篤き心と、時処位を心得た礼節が天津金木の運用を可能にする。

  36. 信なきところには天津金木は成立せず、礼なきところには天津金木は成就しない。

  37. 信は光を産み、礼は事業を成就する。信じて天津金木を探求し、礼して天津金木を置くこと肝要なり。信と礼との結集したところに真の天津金木が存在する。

  38. 信とはわが身を信じることである。わが身を信じるとは、自分の中にある本来を信ずるのである。それが天津金木に写るのである。天津金木と己とは一体不離である。

  39. 天津金木は自己に写るものであるゆえに、おのれ自身を鏡のごとく清くせねばならない。これを「ますみの鏡」という。清らかな身はますみの鏡であり、ここがまことの千座置座である。

  40. 天津金木が自己以外に見えている間はまだ至っていない。信の極みに徹し、礼の極みに徹したときに天津金木の本義がわが身に写ってくる。

  41. 天津金木に次の三つの作法あり。天津金木を無限大から無限小に、あるいは無限小から無限大に拡大縮小する作法。天津金木を凝視して徐々に合致させていく作法。天津金木からくるお示しに即して行事する体験の作法。


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