2013.05.13

                 第97話 「天津金木 5」
  1. タカアマハラは、螺状旋回の姿であるから、その神力は上下、左右、前後など八方に満遍なく発動する。

  2. 螺状旋回は球体である。螺旋は、無限の伸縮を保ち、いかなるものをも融和統合させ、また無限の変化をおこないつつ拡大し縮小していく。これを螺状神力という。

  3. タカアマハラが、螺状神力により万物を生み出すことを「ムスビ」という。「ムス」は蒸す、生す、産という意味で、「ビ」は、「ヒ〜霊」が重なる強い音である。母(ハハ)が重なって婆(ババ)となり、父(チチ)が重なって爺(ヂヂ)となるの理である。

  4. タカアマハラの「ミムスビ〜身結び(物質発生)」のおこる原因は、螺状神力の左旋と右旋とに基づくものである。

  5. 無限の中に住しながら、有限にそって真相を探求していくのが天津金木学である。有限と無限は同時に存在していることを身をもって知るのである。これを「本うち切り、末うち断ちて」という。

  6. 限定される中にもさらに限定される上においてのみ、自在が意義を保つ。限定がなければ統一も無意義である。型稽古の重要性はここにある。技が自在に変化なせるも型あればこそである。

  7. 創造とは限定を無窮に追い求める過程をいう。万有の性根はその本位を限定におかねばならない。

  8. 無限な色彩を現じ、微妙なる変化の連続を、永遠に追い求める。万有のあふるる妙趣に心を停め、耳を傾け、瞳を凝らしてこれを見よ。

  9. 純粋意識に基づく直観が、万有の本質に浸り込んで、絶対体験として生まれ出てくる際に、易より難に、単より複に、近より遠に、親より疎に、一歩一歩とつながって現れる。

  10. 世界創造の段階において、われわれの規定とすべき、われわれを無限の妙趣に導くものは、限定の原理に基づくところの天津金木学である。

  11. われわれは自然に接して内から外を眺め、または内と外とを一つにして、内外が同時に存在する体験に没入している感覚を興させるものは、諸行無常なる涅槃の色彩である。

  12. われわれは、この涅槃における妙なる華をとこしえに懐に抱いて、栄枯盛衰の生を無限に楽しむべきである。

  13. 花を見よ、月を見よ、雪を見よ、それは天真ではあるけれども、われらは時々刻々に現れ来る根底の真理に自己を見出して、その奥底の妙趣に天津金木を通して浸り込んでいこうとしているのである。

  14. まことの神力、すなわちアシカビを求める中において、もっとも大切なものの一つに四魂、四体がある。

  15. タカアマハラを四大アシカビに分類した場合、順流(神漏岐系)より見たものが四魂であって、逆流(神漏美系)より見たものが四体である。ゆえにタカアマハラは、四魂と四体とが結びたる神力界である。

  16. 四魂とは、幸魂、和魂、荒魂、奇魂である。

  17. 四体とは、個体、液体、気体、精体である。

  18. 幸魂は無意識状態、和魂は半意識状態、荒魂は普通意識、奇魂は超意識状態である。

  19. 精体とは超物質にしてX線、ラヂウム線などで、広くは電磁波である。

  20. 四魂のそれぞれが、他の四魂のそれぞれを具備し、四体のそれぞれが、他の四体のそれぞれを具備している。これがゆえにタカアマハラに順逆二流の無限の螺状旋回運動が行われる。

  21. タカアマハラは順逆二流が自在に現れる神界をいう。

  22. 奇魂が荒魂に変ずることも、和魂に変ずることも、幸魂に変ずることも自在であれば、荒魂が奇魂、和魂、幸魂に変ずることもまた自在である。そして、幸魂も、和魂も同様に他の四魂に変ずることも自在である。神が変化自在なることは、このタカアマハラの順逆二流の力のゆえである。

  23. タカアマハラは螺状旋回の相をなしているゆえ「左旋」と「右旋」があり、左旋しつつ外回り、内回りし、また右旋しつつ内回り、外回りを行っている。

  24. 右旋左旋には、遠心力により内から外へ発射する作用「外発」と、求心力により外から内へ引き込む作用「内聚(ないじゅ)」の二通りがある。

  25. 万物は右旋して舞い上がり、左旋して舞い降りる。この右旋左旋の昇降によって大気中に摩擦が生じ、熱と光を生じさせる。これにより無限無量の神業の永久持続となる。


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