2008/05/12    

10話  初心貫徹を決意

 

前回までのお話は、子供の頃からの「医者になる」という希望を捨てて、まったく自分の本心に反した大学に入学したところまででした。今回は、希望を捨てず、初心貫徹して医学部に進むところから始まります。

大学に通い始めても、まったく授業に身が入らず、大学のキャンパスに着くと、授業に出ずにすぐに所属していた邦楽研究会の部室に直行。そこで先輩や友達と無為に時間を過ごしていました。夜は家庭教師のバイトに行くか、仲のよかった先輩と居酒屋に行き、ふたりで日本酒の1升瓶を空けていた毎日。この頃は一日60本のタバコを吸って、右手の中指がヤニ色になっていた程の、なんとも不健康な生活を過ごしていました。自分の幼稚園からの夢であった医者になるという希望を捨て、不本意な道を歩んでいることが原因だったのでしょう。これからの人生の行く先を見失った、実にいい加減な大学生活を過ごしていました。

当時、親の仕送りを気遣って、風呂のない月1万円台のおんぼろの安アパートに住んで、風呂桶と小銭を持って近くの銭湯に通っていました。その日はやけに月明かりが煌々と照っていた初秋の晩でした。銭湯からの帰り道、「今日は妙に明るい月だなぁ〜」と思わず立ち止まってその美しい月に見惚れていると、フト、この寺子屋塾の第1話に書いた、「内なる声」が聴こえてきました。

「今のままでいいのか?!」

問題の核心に、まさにいきなりナイフを突き立てられたように、迫真の力をもってその声は問いかけてきました。

 「おまえの本当にやりたかったことは医者になることではなかったのか?!」

内なる声は、威厳をもって僕を諭し、導くようでした。自分の志を忘れようとして無為な時を過ごしていた僕に、内なる声は逃げ場を与えず、今まさに決断を迫るようでした。

「これからどうするのか?!」

「医者になり、多くの人を助けたいという初心を諦めて一生を生きていくのか?!」

「それとも再受験に挑戦し初心貫徹を目指すのか?!」

その答えはしごく簡単でした。

一生自分の初心である医者になれなかったことを後悔して、これからの人生を生きたくない!!

 

正直でそして素直な自分の魂の叫びでした。

もう迷うことはありません。そして昨日までの死んだような生活は送れません。翌日から大学に通いながらの受験勉強を開始しました。日中は、ときおり講義に出ては、大学での講義用のテキストに受験用の問題集を忍ばせて大学の図書館に通いました。一日平均3時間ほどの勉強時間でしたが、ようやく勉強の仕方がわかってきました。両親に再受験のことを告げると、今の大学でしっかりと勉強して欲しいと言って反対されました。僕は再受験で不合格だった場合は、仕送りを断り、自分で生活費を稼ぎながら合格するまで頑張る決意をしました。

秋から始めたわずか半年ほどの受験勉強でしたが、翌年の春3月、高校時代からの憧れの雪国にある国立山形大学医学部に合格となり、ようやく自分本来の道を歩みだすことができるようになりました。合格発表の当日、僕は春休みを利用して、数日前から地元高崎の元デパートだったビルの内装解体作業のバイトをしていました。受験した大学にすでに通っていた高校時代の同級生から、合格した場合のみ自宅へ連絡してくれる、という予定でした。そのバイトの作業現場に突然父が現れて、「博、受かったぞ!」と、僕に合格したことを告げてくれました。実家の母から父の職場に合格の連絡がいったのでした。そのときの父の喜んだ顔は、今も忘れられません。

真理の目覚め

こうして夢実現の一歩が叶い、新しいキャンパスでの4月。医学部に入学した同級生たちには、実に多彩な経歴をもつ者たちがいました。東大を中退してきたギャンブル好きの23歳のYさん。京都大学の大学院で物理を専攻してきた、入学時すでに2人の子持ちの26歳のTさん。同じく子持ちで、東京で薬剤師をしていた32歳のKさん。中学卒業後集団就職で東京の工場でペンキ塗りをし、その後自衛隊に入り7年間の勤務、さらにその後4年間の浪人生活をして合格を果たした、天涯孤独な28歳のIさん。また僕のように大学を中退して入学して来た者などなど。現役で入学した者が実に幼く見える程の多彩な顔ぶれでした。

特に、薬剤師のKさん、自衛隊出身のIさんのふたりは、 医学部でも非常に稀有な存在の親友であり同志でした。 僕よりもひと回り近く年上でしたが、医学部時代の6年間、 ともに精神世界に目覚めて真理探究の道を歩んだ仲間でした。

この二人との出会いは、自分の人生において、本当にかけがえのないものでありました。昼夜を問わず時を忘れて真理を求めて語り合ったあの時間は、今から思うと、僕のその後の人間形成にとって、まるで宝石のような貴重な時間でした。

入学してすぐに、僕は同じキャンパスでひとりの美しい女学生に一目惚れしてしまいました。まさに寝ても醒めても彼女に夢中となり意気揚々でしたが、秋の声を聞く頃にはみごとに失恋。まったく一方的な片思いでした。あまりに情熱的に熱烈に愛していたために、失恋の落ち込みは谷底のように深く、ひとり内省する時間が多くなり、愛情の対象を失った苦悩を、KさんやIさんによく相談していました。

初めは失恋の相談から始まったふたりの親友との会話の内容は、次第に深いものとなり、いつしか「何故、ひとは愛するのか?何故、愛に喜び、また苦悩するのか?愛に永遠はないのか?そもそもひとは何のために生まれ生きているのか?」そして「人の世の真理とは?神とは?」といったテーマが話しの中心となりました。

その年の10月中旬、僕は自由に時間の取れる学生の立場を利用して、自分を見つめようとして大自然の中に身を置くために、ひとり長野県の上高地に向かいました。明神池に近い山小屋のような宿に1週間ほど泊まり、すでに紅葉真っ盛りの山中を毎日あてどなく、ときに内省をしながら、ときに無心に、とにかく朝から陽の暮れるまで歩き回っていました。

在る時フト足を止めて、森の中に佇んでいると、周りの木々や笹の葉の呼吸が感じられ、それらの呼吸と僕の呼吸がひとつになる体験をしました。このまま僕がここに立っていれば、あたかも僕が1本の木になってこの森と同化してしまうような、そんな大自然との一体感を覚えたのです。

人生の初めての記憶が、美しい夕陽であったように、この大自然との無言の対話の中に、何か大いなるものの存在を感じたのでした。それは、宇宙に遍満する神の存在なのかもしれません。そしてその存在との一体感は、この上なく至福に思われました。この経験を機に、「ほんとうの愛をつかみたい」そして「真理を探究したい」という強い思いが湧き上がりました。下山して大学に戻り、ふたりの親友にこの不思議な体験を話しました。そのときから、僕はごく自然に、何の抵抗もなく宗教を学び始めていました。

さて次回は、真理探究のためにある寺で小僧となって修行を始め、禅寺やキリストの教会にも通う生活と医学部に通う学生生活との2重生活の話となります。

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