2007/07/09  

24話 聴き方革命が示す世界

私たちが「相手を受け入れる」とは、人の長所と短所をあるがままに認め、受け入れることではないのです。長所や短所は、まさに、あなたの世界からの評価であり、あなたにとって短所を持つように見える人たちこそ、人生に必要な存在なのです。

 

誰もが持つそれぞれ異なる「個の花」を尊重する世界というのは、その人の本質が輝く世界です。それが批判され評価される社会構造の中で、よろいを着て封じ込められていた自分の「魂」とも言うべき本質が現れてきます。

 

人は自分の世界から、人の話を聴き、人を評価し、それに基づいて行動しています。それが人間関係の悪化と争いを招いていることが見えてきます。それゆえ、ものごとは成就しないのではないでしょうか。

 

人にはそれぞれの固有の聴き方があることが解ってくると、人が特定の世界観で世の中を見るように動かされていることが見えてきます。一人ひとりの聴き方と人生の使命が違うために、お互いの特徴が欠点として映り、お互いを否定することになります。また、さまざまな問題も異なる世界観から見て、お互いの視点を認めることができないのです。

 

人の特徴、素晴らしさを封じ込める相互批判の社会構造は、人間が抱える悲劇だと、私は想っています。そして、大規模な紛争の種も、相互の世界が理解できないことに一因があるのは間違いないと思います。ただ、お互いの聴き方の違いが根本にあるとするなら、喜劇と言ってもよいかもしれません。なぜなら私たちは、「それぞれの聴き方が創りあげる幻想に生きている」ことになるからです。

 

もし私たちが、お互いの持つ特有の聴き方を知り、そこから相手がどのような世界に住んでいるのかを掴むことができるなら、相手があなたの話をどのように聴き、どのように批判するかの傾向を掴むことができるはずです。

 

もし「勇」がこの世に存在しなかったら、前進や進化の無い世界になり、「親」がいなかったら、調和や平和の無い世界になるでしょう。また、「愛」がこの世に存在しなかったら、思いやりや暖かさの無い冷たい世界になり、「智」がいなければ、便利さや深遠さの無い世界になってしまうでしょう。

 

 この四つは私たちの世界にどれも必要であり、どれひとつ欠けても味気ない人生になってしまいます。私たち人間が求めている究極のものは何でしょうか。何のために、このような異なる傾聴があり、世界観があるのでしょうか。

 

 私たちには、ある共通の目的があるかもしれません。それは私たちすべてにとって、平和で、豊かで充実した理想的な世界です。私たちのDNAの中には、いえ魂の中には、そのようなプログラムが組み込まれているとしか思えないのです。

 

 それが私たちの聴き方の違いからくる心の垣根によって封じ込められ、それぞれの価値観から人間関係やコミュニケーションを難しくしているのです。私たちは、それらの心の垣根を取り払うことで、お互いの目指すものを確認でき、魂で繋がることができるのではないでしょうか。

 

 そのためには、心の垣根を取り払う方法論を確立しなければなりません。困難なことですが、私はそれは可能だと思っているのです。それが聴き方革命なのです。

 

 次回は自分の中に聴こえる内なる声の聴き方を考察しましょう。聴き方は本当に深いものなのです。

 

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