2014.01.07    

第9章 自由の哲学

我々人間の一人一人は自由な存在だろうか。これは哲学のテーマだが、自分が自由なのかを考えるとき、死を外すわけにはいかないだろう。死ぬのを決めるのは誰なのか。いつ死ぬかを決めるのは一体誰か、あるいは何か。これがもし自分でなかったら、少なくともこの意思決定に自分が決定的な権限を持っていなかったら、はたして自分は自由だと言えるだろうか。

いつ死ぬかによって、何年生きるかが決まるわけだから、死ぬのをいつにするかによって、その人の人生は大きく変わるだろう。モーツアルト(Wolfgang Amadeus Mozart)は35歳で、シューベルト(Franz Schubert)は31歳で亡くなった。今の時代で考えると、相当に短い人生だ。それでもこの2人の大天才は何百という曲を書き、たくさんの大傑作を残した。だから長く生きればいいというものではないようだ。

しかし、例えばモーツアルトがもう20年長生きしていたら、どうなっていただろう。ベートーベン(Ludwig van Beethoven)の音楽と、思い切り遭遇していたはずだ。モーツアルトが亡くなった時、ベートーベンはまだ20歳。モーツアルト風な、ハイドン風な曲を作っていたときだ。

モーツアルトが亡くなってしばらくしてから、本物のベートーベンが目覚めた。ピアノソナタの歴史的代表曲「月光」(第14番)、ピアノコンチェルトの大傑作「皇帝」(第5番)、ハイドンが完成した交響曲のスタイルを覆してしまった「エロイカ」(交響曲第3番)、第5番「運命」から第9番までの交響曲はすべて音楽史に残る代表曲で、当時ヨーロッパで主流だった音楽(今で言うとクラシック音楽)の流れを完全に変えてしまったこれらの曲とモーツアルトが遭遇していたら、音楽の世界はどうなっていただろうか。

モーツアルトが曲を作り始めたのは5歳の時だと言われている。では、もしモーツアルトが5歳のときに亡くなっていたら、どうなっただろう。モーツアルト以降の大作曲家が、ベートーベンを始めとして、シューベルト、ショパン、ブラームス、マーラー、チャイコフスキーなど、ほぼ例外なく全員が崇拝してやまないモーツアルトの音楽はなかったわけだ。

これは、あまりに極端な例かもしれないが、死ぬのがいつかは自分の人生をかなり決定づけるほど大きな出来事だろう。これほど重要なことが、たまたまかかった病気で、たまたま乗り合わせた飛行機が墜落して決まるのだろうか。あるいは神という創造主が決めるのだろうか。つまり自分以外が決めるのか。自分はこの重要なことを決定する自由を持っていないのだろうか。

死ぬことが、それで自分は消え去って完全におしまいになるとしても、ルドルフ•シュタイナーや谷口雅春が言うように、肉体レベルを終わらせて、幽体、霊体レベルに移行するのだとしても、これをいつにするかは自分にとって、非常に重要なことだろう。自分の人生を決定的に左右するこの重大事に、自分自身は決定権がないのだろうか。あるいは、この重要な決定に自分は関与していないのだろうか。

もし、いつ死ぬかを自分が決めていないのだとしたら、自分の人生に責任を持てるだろうか。人生の重要なことを、自分以外が決めてしまうのに、人生に完全な責任が持てるだろうか。不満足な人生だったけど、自分は運が悪かったから、仕方ない。この病気のせいで自分は苦しんでいる。死ぬかもしれない。医療は役に立たない。何で自分がこんな目に遭うんだろう。

でももし、自分は自由で、決定権は自分が持っている、という立場に立つのだったら、話は全く変わるだろう。何が起きても、自分が決めたことなんだから、他のせいにすることはできない。病気になったのは、自分が不健康なのは、社会のせいでも、医学のせいでもない。そもそも、どの病院を、どの医師を、どの薬を、どの食べ物を選ぶかも、自分が決めることだ。また、不健康な家系に生まれついたのも、貧しくて高額な医療にかかれないのも、高額な医療が決していいとは限らないにせよ、家系の、親のせいにはできないはずだ。(<補足9-1>)

もうすこし、自分の健康、病気に絞ってみよう。自分の健康は、そして自分の病気のかかりやすさは、その辺に無数にいるフリーラジカルが決めるのだろうか。あるいは、やはり無数にいるインフルエンザのウイルス、HIV、結核菌、バクテリアが決めるのだろうか。それとも、医師が処方する薬が決めるのだろうか。

または持って生まれた抵抗力、免疫の強さが決めるのだろうか。それなら、親から受け継いだこの体、親によって、家系によって、遺伝によって決まるのだろうか。やはりここでも、運が左右するのだろうか。創造主がいて、創造主が鍵を握っているのだろうか。もしそうなら、やはり自分の健康に、病気に責任を持つことができるだろうか。こんな病気にかかってしまって、自分は家系の、社会の、医学会の、薬学会の、そして運命の被害者か。

第8章までに書かれていることは、死ぬときがやって来て、あるいは死ぬことを願っていて、それに応じて体が死の合図を出し、その合図に応じて菌がやって来て、またはガン細胞が一気に増殖して、死のプロセスを手伝っているのかもしれない、ということだ。また、谷口雅春が指摘しているように、その病気にかかるのでは、という思いが、菌などを招いているのかもしれない、ということだ。つまり、死ぬのも、病気にかかるのも、不健康でいるのも、他の誰の、何のせいでもなく、自分の自由意志でやっているかもしれない、ということだ。

病気がはやっている、という報道を見て、あるいは人から聞いて、そのために、その病気にかかるのでは、という思いを抱かされてしまうのは、報道や、うわさのせいで、自分の意志ではない、と言うのだったら、これも責任を自分以外に転嫁していないだろうか。

私はアメリカ西海岸のサンノゼという町で、工事現場の通訳を3週間半したことがある。日本の工法を使った工事で、その工法を教える日本人指導員が4人、アメリカ人の現場作業員が6人、通訳が2人という構成だった。3週間半をかけて、実際の工事をしながら日本の工法をアメリカ人作業員に教え込むのが目的だった。

ちょうど12月の肌寒いころだった。日本人指導員の主任が、早速風邪をひいて、薬を飲み始めた。インフルエンザのようだった。指導員と言っても、日本の工事現場での経験をたっぷり積んだ人たちで、体は屈強、力持ちの上に、動きは素早く、運動能力は私よりはるかに上だった。年齢は30歳から50歳。働き盛りだ。頻繁に起きるトラブルを、何事もなかったかのようにさっと片付け、経験があるからとはいえ、その頭の切れと勘のよさに、アメリカ人作業員は全員舌を巻いた。もちろん、海外に役に立たない人は出せないのだろうけれど、私は日本人労働者の優秀さに感心せざるをえなかった。

その屈強な日本人が、ボスの後を追うように、順番に風邪にかかった。私は1週間たって、かなり親しくなり始めた頃、「自分はなかなか風邪をひかない」と言い始めた。日本人全員に笑われた。私は通訳として、ボス格の主任と一緒にいる時間が非常に長かったため、本来だったら、最初に風邪が移っているはずだ。みんなが言った。「そんなわけないよ。そのうち移るから、気をつけた方がいいよ」。

2週間目には、通訳のもう1人も含めて、私以外の全員が風邪をひいた。それでも、「風邪をひかないと思っていれば、ひかないもんですよ」と言い続ける私に、「これだけ風邪ひきに囲まれたら、もう移らないわけないよ。次は間違いなく、ナカジンだよ」とみんなは反論した。時折すっとんきょうな事を言う私は、このときにはもう、ナカジンと呼ばれていた。結局、3週間半後に役目が終わって引き上げるまで、ナカジンだけは風邪をひかなかった。(<補足9-2)

この3週間半の間、この日本人メンバーでよく食事に行った。現場の近くには幸いなことにアジア系のレストランが非常に多く、中華、ベトナム、インド、韓国、日本などの料理をビールを飲みながらみんなでつつき合い、楽しんだ。それ以外にも泊まっていたホテルの自分の部屋で食べるとき用に、みんなで買い出しにいった。アメリカ生活が長い通訳2人の主導で、健康食品を多く取り入れて成功している食料品チェーンのトレーダージョーズなどに行き、野菜サラダや、作り置きのスープなどを買った。最初に風邪をひいた主任はかなり健康志向の人で、レストランでも野菜を多く注文したり、風邪をひいた最初にはサプリメントを買い込んでいた。つまり、我々は決して、ジャンクフードを食べていたのではない。栄養はきちんと取っていたわけだ。

病気がはやっている、というのがメディアで広まったり、人の口を通じて伝わってくるのは自分の責任ではないにしても、それで、その病気になるのでは、と心配したり不安になったりするのまで、自分以外の責任にはできないだろう。

HIVに感染するのは、エイズにかかるのではという心配や不安がこのウイルスを呼ぶからではないか、というのに対し、そんなのは全くのこじつけじゃないか、という人もいるだろう。また、10年も20年もしてからいきなりHIVが優勢になるのは、体の死の合図に呼応しているからなのでは、というのは、ただのへ理屈だと指摘する人もいるだろう。確かにこじつけかも、へ理屈かもしれない。

死というのがやって来たため、自分が死を望んだため、あるいは自分で病気にかかるのではと思ったため、病気になった、つまり自分の意志で、自分の責任で病気になった、という見方で、エイズの症状を解釈しただけだ。解釈はある種のこじつけだろうから、こじつけだ、へ理屈だ、と言われたら、それはその通りだ、と答えるしかない。

いくら頭の中の解釈を替えたところで、実際に起きている現象は変わらないだろう、と思うかもしれない。病気と死が、どっちが最初でどっちが後だって、現実は全く変わらないじゃないか、と言う人だっているだろう。しかし20年前、病気は自分がつくっているのでは、という考えが浮かんだだけで、私の健康状態は一変してしまった。煩わしい下痢は消え、うっとうしい風邪には滅多にかからなくなり、ガンにかかるのでは、という不安まで消し飛んだ。薬を飲まないどころか、飲む機会さえなくなった。いかに健康になったかは、その後の20年が一番良く証明している。

<補足9-1>自由とか、死とかは、そんなに安易に述べられるものではない、と多くの哲学者は言うだろう。タイトルは”自由の哲学”だが、ここでは自由とか死とかを哲学的に論じているつもりはない。健康や病気、そして死は自分の責任か、それとも他の誰か、何かの責任か、ということを論じているだけだ。自分の意志で死を選んでいるように見える、サムライ時代の名誉の腹切りも、第2次世界大戦中の神風特攻隊員も、最近日本で多い自殺も、特に自殺は、それがその人の本当の意志でやっているかは疑問だ。それに、死ぬことで自分は完全におしまいか、そうではなくて死後の世界があって自分は生き続けるのか、によっても死と自由の考え方は根本的に違うだろう。だから確かに、死とか自由とかは簡単に論じることはできないかもしれない。

<補足9-2>実は、この引き上げる寸前に、私はのどがイガイガした。風邪をひくときは、だいたいこの、のどのイガイガから始まる。3週間あまり、毎日みんなから、移らないわけがない、そのうち必ずひくと言われ続けていた。 多勢に無勢で、風邪コールを散々浴びせられ、 さすがに風邪をなかなかひかない自信のある私でも、ついにやられたか、とこのときは思った。谷口雅春によると、動物は野生の状態では決して病気にかからないが、人間に捕まって、病気にかかると信じている人間に囲まれて暮らすと、病気にかかるようになる、という。何世代もペット化されている犬や猫は、風邪をひくし、ガンにもかかる。私は幸いなことにサンノゼを離れてから、のどのイガイガがしばらく続いただけで、それ以上は進まなかった。しかし、もう一週間いたら、完全に風邪をひいていたかもしれない、と思う。滅多に風邪をひかないという確信に近いものがあっても、やはり周りの言動、目の前で起きている現象に左右されてしまう、とこのときは思った。とは言え、私は風邪をひくのは決して悪いことだとは思わない。風邪は体が休みを求めているサインではないか、とさえ思っている。日本人の多くは、体に無理をしても仕事を続けるのが美徳だという風潮があるせいか、過労でもなかなか休まない。だから、たまには風邪をひいて、それを理由に数日間寝込み、十分に休むのがいい、と思う。そして、インフルエンザ、あるいは風邪のウイルスは、体内に入ることによって免疫が刺激され、ウイルスを退治するために熱や鼻水を出すなど、結局は解毒に役立っているのでは、と特別な根拠はないけれども、私はそう思っている。だから、風邪をひいたら、少々苦しくても薬は飲まない方がいい、と思う。解毒の邪魔をするだけなのでは、と思えるからだ。

 

 

志あるリー ダーのための「寺子屋」塾トップページへ