2006/09/11
2008.06.30 

第1話 幼い時の選択

人は、幼いときに受けた衝撃をいつまでも忘れません。またそれが幼子にとっての純粋無垢な希望に結びつくものであるなら、きっとその子は希望を追い求めて一生を迷い無く生きていくのではないかと思います。私も他ならず、幼い時に見たテレビアニメに強い衝撃を受けました。そして、人生において無数にあるであろうジャンルの中で、迷い無く「武道」というジャンルを一気に選択したのでした。

人の一生は自分が選択することで決定するものではないかと思えてなりません。そしてジャンルが決定した瞬間に物語が始まります。

私は自分のジャンルを選択した直後から、まるで何かに引き込まれるようにして、この奇妙でエキサイティングな武道物語の世界に入っていったのでした。そして、ひたすら前に向いて歩いていくと、その道の途中で奇跡的とも言える多くの出会いがありました。他の追従を許さない偉大なスペシャリストたちとの遭遇です。まるでリレーのように次から次へと続きました。

その個性豊かな方たちとの出会いによって本当に多くを学び、さらに前へ進む力を得ました。また、稽古を通して体験する不思議な感覚の世界は、人生は何て面白いんだと思えるきっかけになり、益々生きるということに興味をそそられました。

 

光陰矢のごとしと言いますが、私の稽古人生も光のように速く歳月が走っていった感じがします。もう早今年で50歳になりました。まさに自分が夢みてきた技を、ようやくこの手につかみかける年齢に来たのか・・・しかし、そう思った瞬間、また道は遥か遠くに延びてしまうのです。退屈する間さえありません。

 

お陰様と申しましょうか、私には神の計らいとしか言えないように思えますが、いま和良久と言う、世界に比類の無い技を与えられたことは大きな物語のプロローグをようやく読み終えたばかりのような感じがいたします。

 

和良久・・・これを世に出す決意をしてまだ間がないのですが、幼い頃から始まった物語はいまも止むことなく続き、毎日、毎日色んなストーリーを展開させています。山の頂を目指せばいろんな道を歩かねばなりませんが、日々、神様が私に与える試練は、すべて良き完結への道であると、近頃ようやく納得できるようになりました。こう思えば歳と言うものはとらねばならないものだと思います。

この物語の完結は果たしてあるのか無いのか。

それは私には分かりませんが、私が信じた神です。きっと収まるおさまる所へ収まらせて下さるのでしょう。いずれにしても私は毎日が楽しくてなりません。

 

さて、和良久と言う武道が世の中に顔を出すに当って、その技がこういった過程を経て今日のような形になったのだ・・・と言うことをご紹介したいと思います。これは私にとってもよい整理になるのではと期待しています。

まず、武道を志したきっかけから書きます。・・・それは幼稚園の頃、夕方遊び疲れて家に帰った時のことでした。座敷に上がってテレビのスイッチを入れたら、アニメがやっていました。頭が八つに分かれ、口は耳まで裂け、体には樹木が屹立し、耳をつんざくような奇声を発し、空を覆うような大きな体で、お姫様に襲いかかる怪物が画面いっぱいに映っていました。

 

私は少し怖くて両手で顔を覆いながらも、その指の隙間からテレビを覗いていました。さあ、そのヤマタノオロチがお姫様を食べようとした瞬間です。虚空を翔る白い馬に乗リ、手にはツルギをもって雄たけびをなしつつ登場したヒーローがありました。スサノオノミコトです。ミコトは、ありったけの知恵と力を振り絞って、とうとうヤマタノオロチを退治し、無事お姫様を救ったのです。

今思えば、このアニメ、多少古事記に脚色して描かれていますが、幼稚園の頃に見たこのシーンがいまも私を支えているのです。この話、幼心に何て格好いいのだろうと思いました。あんな風に強くなって、悪い奴をやっつけることが出来たらいいなあと真剣に思いました。

少年時代なら誰でも憧れる正義の味方、つまり「ヒーロー」は私の場合、日本神話のスサノオノミコトでした。いま多くのヒーロー物がテレビや映画でやっていますが、私は、このスサノオこそヒーローものの元祖ではないのかと思うのです。

私はアニメにあるツルギをふるう勇姿をいつも思い浮かべていました。道に落ちている木切れを拾っては、例えば幼な子が正義の味方になりきってアクションシーンをやるように、私もアニメのスサノオのヤマタノオロチ退治シーンを真似て遊んでいまいした。

これが私の原点です。

そして、とうとう10歳になった時に具体的な行動に移しました。武道の世界で生きていこうと決意したのです。いまで言う「破邪顕正」と言う言葉は、もちろん少年時代には知る由もありませんが、武を選んだ理由を簡潔に表現すれば丁度そんな気持ちです。ですから、実は私は人生何をして生きていこうとか、自分の天命や天職は何であるとかなどと悩んだことはありません。

幼い頃見たアニメで、もう自分の人生を決めてしまっていたのですから。そういう意味で私は幸せ者かも知れません。

 

『好きなことはつらくない。だって自分が選んだことだもの。

もしも辛いと愚痴るなら、さっさとやめて国帰れ』

これは自分で作った自分のための「諌め歌」です。いつも内弟子修行時代の辛い時、苦しい時に口ずさんでいました。

 

次号からは少年期を振り返らせていただきます。しばらく私の身勝手な話にお付き合いをいただきますが、ご容赦いただきまして、何卒よろしくお願いいたします。